12月7日 (月)針供養
ご機嫌よろしゅうございます。
明日12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日
で「臘八」と呼ばれます。
これについては昨年ご紹介しました。
また12月8日は針供養の日でもあります。
この針供養の日は
関西と関東では日にちが異なり
関東では2月8日
関西では12月8日に行われるのが
一般的なようです。
この針供養では
折れたりして使えなくなった古い縫い針を
こんにゃくや豆腐などに刺して供養する行事です。
いつも固いものばかり刺している針を
労わる気持ちから、柔らかい蒟蒻や豆腐に刺して
供養するのだそうです。
豊臣秀吉も、織田信長に仕える前の若き頃
縫い針を売る行商をして
旅を続けたと言われています。
12月 4日(金)遠州公所縁の地を巡って
「孤篷庵」
ご機嫌よろしゅうございます。
寛永二十年(1643)遠州公六十五歳
の時、手狭になったため、孤篷庵を龍光院から
現在の地へ移しています。
孤篷庵は作事奉行として数々の建築や庭に携わった
遠州公が、自らの好みで設計したものです。
孤篷庵内の茶室「忘筌」は客間として使われ、
遠州公は茶頭に点法をまかして、お客様と
歓談を楽しんだことでしょう。
遠州公が亡くなるのが、
この孤篷庵ができてから二年後。
短い時間でしたが、この自分の好みを
最大限に反映させた茶室で
茶の湯を楽しみました。
残念なことに孤篷庵の建物は、遠州公が亡くなって
から約百五十年後の寛政五年(1793)に焼失。
その後、遠州公を崇敬する松平不昧の指導と援助に
よって、寛政九年~十二年頃に再建されました。
12月 2日(水)遠州流茶道の点法
「茶事・寄付と席入」
ご機嫌よろしゅうございます。
お茶事当日。
入り口に打ち水され、門があいていたら
準備ができている合図です。お客はそのまま
寄付(よりつき)とよばれる場所に入ります。
寄付で身支度を済ませ、香煎を頂いた後に外腰掛に出て迎付(むかえつけ)に備えます。
ここからは亭主とお客、言葉を交わさず
客は黙礼で応じ、亭主が去ったらお客も移動をはじめます。
露地を進み、蹲(つくばい)で手と口、を清めます。
この露地を歩く間にも
庭の景色に目を向けつつ心を落ち着け、清めながら
茶室へ向かいます。
その後お客が席入りし、躙り口の鍵が閉められる
音が聞こえると、亭主は皆様茶室に入ったことを
察し、ご挨拶にでます。
さて、お客様のうちでちょっと遅刻されると
連絡がはいった時、
宗家では寄付でお香を焚いて
しばしお香を聞きながらお待ちいただくことがあります。
お香を寄付で聞いた場合は香炉の香が
飛ばないように露地を歩いて床の間に飾り、
後で亭主にそのお香のお礼を申し上げます。