10月 7日(水) 遠州流茶道の点法

2015-10-7 UP

10月 7日(水) 遠州流茶道の点法
「盆点について」

ご機嫌よろしゅうございます。

今週から盆点の点法と茶入ついてご紹介します。

遠州流茶道の盆点は、
丸壺・文琳・茄子・鶴首などの茶入を用い、
それぞれに大名物と中興名物の扱いの二種類があります。
また方盆と丸盆の扱いにより、清め方の違いがあります。

名物で盆が添っていても肩衝茶入は盆にのせて
の点法はしません。
肩衝は盆に載せると不安定なため
初入、台目棚などに飾り付けの際は仕覆に入れたまま盆にのせ、
点法の際には盆を外して扱うか、両名物の点法で、
予め茶碗に仕込んで点法します。
この点法については以前ご紹介しました。
基本的に名物の茶入は常に両手扱いです。
また茶道点(さどうだて)といわれる、
左手を、茶入を持った右手に添える扱いをします。

10月 5日(月) 藤堂高虎(とうどうたかとら)

2015-10-5 UP

10月 5日(月) 藤堂高虎(とうどうたかとら)

ご機嫌よろしゅうございます。

10月 5日 は、藤堂高虎の命日です。

遠州公の義理の父であることは皆様よくご存知の
ことと思います。
高虎は遠州公の才をいち早く見抜き、
養女を迎えて遠州公に嫁がせ、縁戚関係を結びました。
遠州公の父・新介と同じく、浅井氏の没後は、
豊臣秀長に従い、その才覚から後に家康にも
重用されました。
その信頼ぶりは家康の臨終の際に呼ばれ、
家康亡き後、万が一のことがあれば、戦陣の一番手を
高虎に任せよ。と遺言したことからもわかります。

また家康の念願であった、孫の和子入内も、
高虎の働きによって公武の話し合いが進められ
ついに実現しました。
この高虎が実現させた入内のために、
遠州公も後に作事奉行として
大いに活躍することとなるわけです。

寛永七年(1630)十月五日、七十五歳で亡くなります。

10月2日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-10-2 UP

10月2日(金)遠州公所縁の地を巡って
「伊庭(いば)茶屋屋敷」

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州公は水口城の他、現在の滋賀県東近江市伊庭町に
伊庭茶屋を作っています。

関ヶ原の戦いの後、慶長8年(1603)江戸幕府が開かれます。
依然として豊臣方の力が残存していたため、
将軍が江戸から上洛する際には
堅固な御茶屋風の宿泊所・護衛上の濠や土塁をめぐらした
城郭風の宿館が必要でした。
遠州公は命を受け、家光上洛の宿として
「伊庭御殿」を造営しました。
近年この地は現在「御殿地」と呼ばれていますが、
近くには民家もなく鬱蒼とした森になっていて
滅多に人が近づかない場所でした。
しかし、調査が進み「伊庭御茶屋御指図」(中井家所蔵)
と現況地形の一致から遠州公作と証明されました。

伊庭御殿は台所施設が広く取られている等の特徴があり、
将軍の休憩施設としての特徴を備えていました。
また他の茶屋のつくりは方形を基調としていますが
伊庭御殿は横に細長い不定形である点が特徴的です。

家光より後は、将軍上洛の必要がなくなったため、
御茶屋御殿は廃止されていきます。

現在、遺構としては、石垣の一部と井戸跡を
見ることができます。