7月8日 (水)遠州流茶道の点法

2015-7-8 UP

7月8日 (水)遠州流茶道の点法
茶箱(ちゃばこ)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は茶箱についてご紹介します。

茶箱は古くから旅の際の持ち歩きように
つくられたもので、
茶弁当などとも称されていました。

それぞれの茶人の好みで茶箱が作られました。
遠州公の好みの茶箱には
天の橋立の松の美しい生節の戸に使用した
「橋立茶箱」というものがあります。

宗家道場ではこの橋立茶箱の写しを用いて
お稽古しています。
正面と右側面にそれぞれ菓子器・茶碗茶杓
茶筅・茶器・茶巾が収納され、
シンプルな形ながら、使いやすく遠州公の
心配りが感じられる茶箱です。

7月 6日(月) 長生殿(ちょうせいでん)

2015-7-6 UP

7月 6日(月) 長生殿(ちょうせいでん)

ご機嫌よろしゅうございます。

昨年ご紹介しました日本三大銘菓のうちの
今日は 日本三大銘菓の一つ、長生殿について
ご紹介します。

長生殿の生まれた金沢は前田家が遠州公の指導を受け、
熱心に取り組んだこともあり、茶道が大変に盛んな土地です。
そしてそれに伴い、和菓子の文化も発達しました。

この長生殿のように、茶道の発展とともに、
日本の各地で茶菓子としての
伝統的な銘菓が誕生していきます。
今と異なり、流通の発展していなかった時代には
大変に希少価値のあるものでした。

銘菓「長生殿」は、寛永年間(17世紀前半)
森下屋八左衛門が前田利常の創意により、
遠州公の書いた「長生殿」
という文字を墨型の落雁にした
ことがはじまりと言われています。

この「長生殿」の名は、唐の白居易「長恨歌」の末章

七月七日長生殿  夜半無人私語時

より、唐玄宗と楊貴妃が愛を語りあった場所である
長生殿から由来しているといわれています。
そしてこの詩、後には

在天願作比翼鳥  在地願爲連理枝

と続き、
天上にあっては、鳥の両翼となり
地上にあっては、連理の枝となりましょう
と永遠の愛を誓う歌が続きます。

遠州公はどんないきさつでこの長生殿という字を
書かれ、利常公がこの菓子をつくられたのか
明日の七夕の日に、そんなことに想いを巡らせながら
このお菓子を頂きたいと思います。

7月3日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-7-3 UP

7月3日(金)遠州公所縁の地を巡って
「道の記」3

ご機嫌よろしゅうございます。

遠州公が旅をした様子を書き綴った「道の記」

当時の旅の様子が詳しく読み取れ、
大変に興味深いのですが、
その中には各地の名物も多数登場します。
今日はそのうちの一つ「十団子」をご紹介します。

九月二十六日
江戸を出発して五日目。

現在の静岡のあたり、
物語にも多く登場する宇津谷峠に差し掛かった時
その麓の里で、名物の「たうだんご」に出会す。

遠州公ははじめ「唐団子」と聞き間違い、
中国から渡ってきた珍しい団子かと思っていたところ
そうではなく、
霰のような白い餅を器に十ずつすくうので
「十団子」なのだとのことでした。
それでは実際掬わせよと遠州公が言うと
お店の女房は杓子で自在に掬って見せたとあります。
その様子が遠州公の旅情を慰め、
時の経つのも忘れた様子です。

さて、遠州公の東海道旅日記には、
もう一つ「上り」があります。
こちらは、「下り」の書かれた四十三歳から二十一年後の
六十四歳の折の様子が綴られており、
二つ読み合わせると、その時の経過を感じることができます。
こちらについてはまた後日ご紹介したいと思います。

7月 1日(水)遠州流茶道の点法

2015-7-1 UP

7月 1日(水)遠州流茶道の点法
旅箪笥(たびだんす)

ご機嫌よろしゅうございます。

夏の暑い時期、正午のお茶事などが
行われることは少ないようです。

そのような暑い時期にも気軽に茶の湯が楽しめるよう
宗家の稽古場では、旅箪笥や、茶箱といった
野点や外出先でのお茶に最適なお点法の稽古をしています。

旅箪笥は、その名前の通り旅先にも持ち歩ける
移動用に考案されたものです。

千利休が豊臣秀吉の小田原の陣に従った際に
考案したといわれています。

茶箱とは異なり、柄杓が入るようになっており
野点で手取り釜に合わせたり
また携帯用としてだけでなく、小ぶりな風炉釜で、
楽しむ夏の気軽なお茶にもよく合います。

差し蓋となっている戸の裏には、短冊が挟めるように
なっており、時候の歌などを入れて、席中で
楽しむことができます。