時の記念日

2014-6-10 UP

6月10日 時の記念日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は6月10日、時の記念日です。

671年(天智天皇十年)に、天智天皇が
唐から伝えられたという漏刻(水時計)で、
「時の奏」(太鼓や鐘を打って時を知らせる)を行い
宮中に時がつげられるようになった日が、
太陽暦に直すと6月10日だったという故事によるものです。

この時代に水時計の管理をしていたのは
陰陽寮の漏刻博士で、二人交替で水量を確認し、
鐘や太鼓で時報を鳴らしたそうです。

この記念日は大正九年(1920)、生活改善同盟の発意で
時間を尊重・厳守し、生活の改善・合理化などを
進めることを目的として定められました。

ちなみに時報のサービスは、
1955年(昭和30年)6月10日の
「時の記念日」より開始されました。

五月雨

2014-6-9 UP

6月9日 五月雨(さみだれ)を…

五月雨を集めてはやし最上川

ご機嫌よろしゅうございます。

この俳句は江戸時代の俳人松尾芭蕉の有名な句です。
この句が詠まれたのは、元禄二年(1689年)に
最上川を訪れた時のことです。

この川は日本三大急流の一つにもあげられる
大変大きな河川です

初め船着場の家で行った句会で
「五月雨をあつめてすずし最上川」
と詠みました。
最上川から吹く心地よい風が、暑さを和らげてくれた
その情景を詠んだ句ですが、
その数日後、最上川を船で下ったとき、
「水みなぎつて舟あやうし」といった激しい川の流れ
であったので、「すずし」を「はやし」
とかえたのだそうです。

梅雨の一雫がやがて大河となる
その濁流に危険を感じながらも川舟で下る芭蕉が感じた
大自然の力と美しさが伝わります。

宗湛日記

2014-6-8 UP

6月8日 宗湛日記

ご機嫌よろしゅうございます。
日曜日になりましたので、官兵衛の時代のお話を。

この時代の様子を知る資料として
「宗湛日記」があります。
神屋宗湛 (1551~1635)は、 安土桃山・江戸初期の豪商。
筑前博多で、先祖は石見銀山の開発に携わり、
宗湛は朝鮮・中国・ルソン・シャムと通商して巨利を得ました。

畿内の諸大名や千利休、津田宗及らと親交があり
大徳寺にて出家し、宗湛と号しました。
「宗湛日記」は、宗湛が秀吉時代に活躍したことを
まとめた茶会記等を記録し、
津田宗及の「天王寺屋会記」、今井宗久の「今井宗久茶湯書抜」、
松屋三代に渡る「松屋会記」と並ぶ、四大茶会記ともされますが、
現在では後世に作られたとする説もあります。

家康の時代になってからは、急速にその力を失ってしまいますが、
江戸時代には黒田家の御用商人となり
特に官兵衛、後の如水と宗湛は親交も厚く
黒田家が筑前に入国する際には、
如水はしばらく宗湛の家に滞在していたそうです。

川越献茶式

2014-6-7 UP

6月7日 川越献茶式

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は埼玉・川越にてお家元の献茶式が行われます。

また6月15日には、恒例となりました「茶あそび彩茶会」にて
妖怪茶会・甲冑をつけての茶会などユニークな茶会も
催されています。

川越は、関東最古の茶の産地です。
平安時代には既にこの地に伝わり
鎌倉時代には明恵上人が河越の地に茶を栽植したとされ、
鎌倉末期から室町時代に虎関師錬が著した「異制庭訓往来」
に全国の茶の産地の一つとして「武蔵河越の茶」
と記載されています。

江戸時代初期の川越城主だった酒井忠勝や堀田正盛、松平信綱は
遠州公との交流を通して、川越藩の茶業を活発にしていきます。
それ故川越藩と遠州流の関わりは大変深く、
市内の喜多院や蓮馨寺には遠州流の庭園が残されています。

献茶式にお越しの際は是非足をのばして
ご覧ください。

芒種(ぼうしゅ)

2014-6-6 UP

6月6日 芒種(ぼうしゅ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は24節気の芒種にあたります。

小満から数えて15日目頃になります。

稲や麦のような芒(のぎ)のある穀物穂の出る穀物の
種をまく季節ということから、芒種と言われています。
実際にはもう少し早く種を撒くようです。

芒は、イネ科の植物の花についている針のような突起のことで
禾とも書きます。

天目茶碗には禾目とよばれるものがあり、
茶色や銀色の細かい縦筋が無数に見られます
これを日本では穂先の禾に見立て、
この種の釉薬がかかった天目茶碗を禾目天目と呼んでいます。

今井宗久(いまいそうきゅう)

2014-6-5 UP

6月 5日 今井宗久(いまいそうきゅう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は今井宗久の命日です。

今井宗久は近江に生まれ、後に堺で活躍する商人です。

武野紹鴎の娘婿となり、紹鴎が没すると
紹鴎秘蔵の名物茶器(松島茶壷・紹鴎茄子・玉澗筆波の絵)
を譲り受けます。

織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際には、
松永久秀が九十九髪茄子を献上し、
宗久も紹鴎の遺品である松島茶壷・紹鴎茄子を
献上します。
信長は堺の町衆の懐柔と支配のため宗久を重用し、
茶の湯においても茶堂として活躍しますが、
信長が本能寺の変で倒れてからは
次第に力が衰えていきます。
永正十七年ー文禄二年(1520ー1593)

2014-6-4 UP

6月 4日 鮎(あゆ)

ご機嫌よろしゅうございます。

この時期の旬の食材といえば
6月1日に釣りが解禁される鮎が思い浮かびます。

11月から5月は資源保護のため禁漁となっており
釣り人が待ちにまった鮎釣り解禁日に
釣り糸を垂らす姿は、この季節の風物詩でもあります。

鮎は一年で一生を終える一年魚で、
別名を「香魚」と言うように、独特の芳香を持つ鮎は、
水質が良い河川ではスイカの香り、水質が悪い場合は
キュウリの香りに変わるといわれています。

春先に海から川へ上りますが、
琵琶湖の鮎は琵琶湖を海の代わりとして生息し、
海水で生きることが出来ない性質に変化しているのだそうです。

塩焼きにして蓼酢(たです)でいただくのが
シンプルで一番美味しい鮎の頂き方です。

水無月

2014-6-3 UP

6月3日 水無月(みなづき)

ご機嫌よろしゅうございます。

6月に入ると和菓子屋さんで
三角形の小豆を散らしたお菓子
を目にしたことはありませんか?
これは水無月というお菓子で、
外郎(ういろう)で氷をかたどったものです。

昔、宮中では氷室(ひむろ)といわれる洞窟のような場所に
氷や雪を冬のうちに保管していました。
ここから氷を取り寄せ、氷を口にして、暑気払いをしていましたが
高級品である氷は、とても庶民の口に入りません。

そのため、麦粉を練り、氷片に見立てて食べたのが「水無月」です。
水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、
上の小豆は氷の中にある泡を表し、
また悪魔払いの意味をもつと言われています。
夏の酷暑を乗り切り、無病息災を祈願するお菓子です。

京都ではこのお菓子を6月30日の「夏越の祓え」でいただく
のが習慣なのだそうです。

2014-6-2 UP

6月2日 菖蒲(あやめ)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は旧暦でいう5月5日 端午の節句です。
5月5日には、邪気を払うとして菖蒲湯や、
宮中の薬玉に菖蒲が用いられました。

しかし、これらは、現在私達が連想する
艶やかな花を咲かせるアヤメ科の菖蒲とは
別の、芋サトイモ科の植物で
両者のうち花の咲く方を「ハナアヤメ」、
サトイモ科の方を「アヤメグサ」といって
区別していました。

邪気払いとして用いるのは、
その葉に特有の香りを持つ「アヤメグサ」の方です。

「ハナアヤメ」のほうも、茶花として用いられることは
昔から少なかったようで茶会記に名を見ることも
あまりありません。

昔から「六日のあやめ、十日の菊」などと言い、
節句(5月5日、9月9日)を過ぎて「役に立たないもの」
の例えなどに挙げられます。

水無月

2014-6-1 UP

6月1日 水無月(みなづき)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日から6月
今年も折り返しとなります。

旧暦でいう6月は梅雨も明け、暑さも厳しくなる時期
です。雨が降らないので「水が無い月」と言われたなど、
水無月という名前の由来には諸説あります。

6月に入ると、着物は単衣(ひとえ)と呼ばれる
裏地のない着物に衣替えします。

遠州流では袱紗の生地が絽に変わります。
こちらもお家元が毎年好まれて作られており、
腰につけるととても涼しげで、
お道具を清める手元まで、季節感を感じさせてくれます。
お茶会などでご覧になった方にもお声をかけていただきます。
綺麗さびの美意識ならではの
細やかな心配りです。