三河国八つ橋

2013-9-30 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

元和7年(1621)9月22日に江戸を出発し、旅を続ける遠州一行。
9月30日には愛知県の岡崎に到着し、岡崎城主本田康紀の歓待を受けました。

その後、三河国八つ橋へ。
ここに遠州はひとつの楽しみを持っておりました。
それは旅前に、遠州が熟読していた『伊勢物語』に、八つ橋で在原業平が杜若(かきつばた)の歌を詠む場面があったのです。
「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
先頭の文字を取ると、「か き つ ば た」となり、業平もさらに文章で「いと面白く咲きたり」と記述しておりました。
しかし、遠州がいざ来てみるとあまり咲いていなかったようで、
「昔より いひしきにける ことなれど われらはいかが 今は定めむ」
と狂歌を読んでいます。
もちろん、5月頃に咲く杜若が、この時期に咲かないことを知っていたと思われますが、それでも残念であったということを遠州は狂歌で表しました。

ちなみに『伊勢物語』の八つ橋は現在では正確な位置は分かっておらず、幻の地とされています。

蟄虫培戸

2013-9-28 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

本日から72侯が「蟄虫培戸(むしかくれて戸を塞ぐ)」となります。
いよいよ、虫たちが冬支度を始める季節となりました。
土の中に籠ったり、蛹になったりと、それぞれの越冬準備が景色の中に溶け込んでいくでしょう。
姿を消した虫たちは春の「蟄虫啓戸(けいちゅうとをひらく)」まで眠ることになります。

ちなみに、そんな虫たちは葉の裏に繭や卵を作ったり、樹の幹に潜りこんだりと、人間にとっては害虫としてとらえられており、その対策として、「松の菰(こも)巻き」があります。
菰とは、松に巻いてある藁で編んだむしろのことです。
秋の雰囲気が増し、寒くなった虫たちは暖を取ろうと、枝から降りてきて菰に入ります。
そして、春の啓蟄の前に、外された菰ごと、焼かれてしまうのです。
今でも春の風物詩として、「松の菰焼」は残っています。

都会でも、公園などで松の冬の衣装を見ることができるでしょう。

彼岸明け

2013-9-27 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。
昨日でお彼岸が明けました。
遠州流の点法では、秋のお彼岸を過ぎると、ささやかな変化をする箇所があります。
薄茶点法の、茶器の中の茶を汲む位置が変わるのです。
今までは山の向こう側を汲んでいたかと思いますが、これからは山の手前側を汲むことになります。
流派によっては年間を通して同じ位置で茶を汲むこともありますが、遠州流では季節の移り変わりを大切にし、点法も同じく変化をします。
春のお彼岸が過ぎると、今度は山の向こう側を汲むようになります。

来週から10月のお稽古が始まります。
冷たい秋風が吹く季節となってきましたので、ご自愛下さいませ。
どうぞ宜しくお願い致します。

小堀遠州の茶会

2013-9-26 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。
寛永5年9月26日(1628年10月30日)、遠州は茶会を開いておりました。 客は4人。 菅原織部、二村宗林、徳庵、道志。 特に菅沼定芳が御正客として座していることに着目したいと思います。 ちなみに詰客の道志は「いじいじ塗り」の名手として知られ、遠州に認められた後、将軍家茶碗御用の命を受けるようになり、京都の茶道具頭的な地位を占めるほどになった人物で、遠州の茶会には記録に残る限りでも30回も招かれています。 菅沼定芳は、近江国(滋賀県)の膳所城主で3万1100石を領していました。 遠州の茶会には3度参会。 茶の湯を好んでいたようで、定芳が膳所城主だった頃に、膳所焼は遠州の指導を受けており、それに関する書状も残っています。 この時の茶会記を見ると、遠州は膳所焼の茶碗を使用。 ここに遠州の膳所城主菅原定芳に対するおもてなしの心を見て取ることができます。 旧暦の9月26日は、新暦の10月31日にあたり、床には藤原定家の『初雪ノ歌』が掛かっていました。

皆で雪の風情を楽しんでいたのではないでしょうか。

お彼岸

2013-9-25 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

明日の26日でお彼岸が明けます。
昼夜の時間が同じになるこの時期は、この世とあの世が繋がりやすいとされ、ご先祖様にお供えしたり、お墓掃除をしたりする期間として、又は季節の変わり目として、古来から重要視されてきました。
ちょうどこの時期に彼岸花が咲きはじめます。
道端にも突然生えていることも多く、目にしている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

彼岸花はとても変わった成長をします。
まず一夜にして地上へ茎が突出、すぐさま花が咲き、終わる頃に、やっと葉が出てきます。
普通の草花とは逆の順序をもって、成長するのです。
そのため、「イチヤニョロリ」、「ハヌケグサ」、「ハミズハナミズ(葉見ズ花見ズ)」、「ステゴバナ」といった別名が無数にあります。
また、この花は有毒成分も持っており、昔の人が口にしてしまった体験から「シタコヂケ」、「シタマガリ」、「シビレバナ」など、摘んではいけない、という注意を喚起する名も多く付けられています。

しかし、毒を持ってはいますが、田畑や畦道には多く植えられ、飢饉の際の救荒植物として大切に育てられていました。
水に晒し、毒を消した後に食していたようで、そのためにみだりに子供たちに荒らされないように、上記の危険な名を付けたとも考えられます。

宗家道場の近くにある若宮神社の辺りにも、今月の初めに一夜にしてニョロリとその身を現し、深紅の六辺の花弁を美しく咲かせていました。