「東海道旅日記」松平忠明と道頓堀

2020-8-7 UP

庄野を過ぎ、亀山に差し掛かった遠州公一行。
ここは松平忠明五万石の城下町です。
忠明公は1583年生まれ。
遠州公より4歳下で家康公の外孫でしたが、後に養子となります。
大坂の陣では大坂城外堀・内堀の埋め立て奉行を担当するなどしました。
(ちなみに遠州公も大阪の陣では家康公の旗本として参陣。)
戦後の戦功が考慮され、家康公の特命により摂津大坂藩10万石藩主、徳川大阪城の初代城主となります。忠明公は大坂城の復興よりも、大坂市街地や農村地帯の復興を優先し、天下の台所としての繁栄に不可欠な堀川の開削をはじめ、寺院や墓地を移転して市街地を拡大していきます。
大阪の名所「道頓堀」開削は、大坂の陣で一時中断していましたが、元和元年(1615)藩主となった忠明公が改めて開削を命じ、有志によって同年完成しました。そして当初「新川」「南堀河」などと呼ばれていた名称は、忠明公によって「道頓堀」と命名されました。