法蔵寺

2020-3-20

旅日記には二むら山と記されていますが、先代の宗慶宗匠が実際にこの地を訪れ尋ねてみるとなかなか見つからない。
地元の人には「にそんさん」と呼ばれていたそうで、お寺にたどり着くまで苦労をされています。

ふたむらも にそんも同じ 言なれど
   道まどはせる 法蔵寺哉     
             紅心宗慶宗匠 

青葉から次第に紅葉する葉が吹き乱れ、
まるで錦をまとったかのような美しい山の麓に佇んでいた法蔵寺は、
松平の初代親氏が建立し、家康公が幼い頃読み書き等手習いをしたと伝わるお寺です。
また手習いの際に水を汲んだといわれている「賀勝水」と呼ばれる湧き水は、日本武尊が東国征伐のときに「加勝水」と名付けたと伝わっています。

そして時は幕末となり、もう一つ大きな出来事が。
山腹には新撰組隊長近藤勇のものと伝わる首塚があります。
明治元年東京板橋で斬首され京都三条大橋西に晒された近藤勇の首を同士が持ち出し、近藤が生前敬慕していた京都誓願寺住職に託されました。そして住職が転任した法蔵寺に運ばれたといわれています。当初は、石碑を土で覆い、ひっそりと弔ったといわれ、昭和33年に発掘調査が行われ、石碑の台座と近藤の遺品と思われる品が出土しました。