11月 16日(月)空也と茶筅

2015-11-16

11月 16日(月)空也と茶筅

ご機嫌よろしゅうございます。

三日前の11月13日は空也忌でした。
空也上人は平安時代、諸国を遍歴して踊りながら
念仏を唱えることで庶民に念仏を勧めました。
「寺を出る日を命日とせよ」と遺言したため、
寺を出たこの日が命日になっています。

さてこの空也上人は、当時流行した疫病を
退散させるおまじないとして柳の木を削り
削り花をつくりました。
これが茶筅の原型と言われています。
そして京都の六波羅蜜寺空也堂の僧が、
青竹茶筅を作り、竹の竿にその茶筅を
藁にさしたものをつけて肩に担いで売り歩く
「茶筅売り」という年末の風物がありました。
この茶筅で正月にお茶を点てていただくのが
「大福茶」とよばれるもので、無病息災の
御利益があるといわれました。
この大福茶についてはまた来月ご紹介します。

大膳宗慶命日

2014-8-24

8月 24日 大膳宗慶命日

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公の後を継いだ二代目大膳宗慶のお話を。

元和六年(1620)2月15日、父遠州公四十二歳の
時、藤堂高虎の娘を母として、伏見奉行屋敷で
誕生します。

小さい頃から能書の誉れ高く、そのエピソードは
4月1日にもご紹介した通りです。

茶道修業にも熱心で、父遠州公にその茶法を学び、
二十代前後で大先達の御相伴も勤めるほどでした。

公職を離れた晩年五十三歳
江戸屋敷で連日連夜に渡り33回の茶会をするなどしています。
父遠州公より受け継いだ茶道の正統を文書に残し、
諸道具の整理・遺物帳等も作成しました。

延宝二年(1674)8月24日
五十五歳で江戸屋敷でなくなります。

豊臣秀吉

2014-8-18

8月18日 豊臣秀吉

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は8月18日 豊臣秀吉の命日に当たります。

秀吉と小堀家との所縁は深く、
浅井家が滅亡した天正元年以後、
秀吉が長浜在城の際、
出家の身であった遠州公の父・新介公を、見出して還俗させたと
いわれています。

昨日、また5月25日にも触れました通り
天正4年には信長に初めて茶道具を拝領し、6年に初茶会
その後は数々の大規模な、華やかな茶会の記録を残します。

異例の出世、天下取りの野望を果たしながら、
その後は幼い我が子の前途を案じて
慶長三年(1598)  六十三歳で、こんな歌を残してこの世を去ります。

露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢

宗中公命日

2014-6-24

6月 24日 宗中公命日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日6月24日は小堀家8世 小堀宗中公の命日です。

天明6年(1786)小堀大膳亮政寿(まさひさ)の嫡子として
近江の小室に生まれました。
小室領地が没収されてからは、京都孤篷庵で育ちます。

この頃の日本は大飢饉が起こり、世の中が疲弊し乱れはじめます。
田沼時代から松平定信が政治の実権を握る時代。

40年という長い間、浪人としての生活が続きますが
要職を歴任し譜代大名並の格式を許された五世政峯宗香公の功績
と遠州公以来の家柄を評価され、
文政11年(1828)に幕臣として召しだされます。

改易の時に親類に引き取られていた、
遠州以来の諸道具も戻され「遠州蔵帳」のほとんどが伝来します。
茶法は父、政寿や小堀家茶道頭の富岡友喜から学び、
多くの弟子を排出します。

尾張徳川家に招かれ御蔵器財の分類、目利き、整理なども行っています。
また、茶道を通じて狩野派など芸術分野の人との交流も多く、
合作で各種の作品を残しています。
慶応三年6月24日、82才で江戸屋敷で亡くなります。

遠州流中興の祖です。

今井宗久(いまいそうきゅう)

2014-6-5

6月 5日 今井宗久(いまいそうきゅう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は今井宗久の命日です。

今井宗久は近江に生まれ、後に堺で活躍する商人です。

武野紹鴎の娘婿となり、紹鴎が没すると
紹鴎秘蔵の名物茶器(松島茶壷・紹鴎茄子・玉澗筆波の絵)
を譲り受けます。

織田信長が足利義昭を奉じて上洛の際には、
松永久秀が九十九髪茄子を献上し、
宗久も紹鴎の遺品である松島茶壷・紹鴎茄子を
献上します。
信長は堺の町衆の懐柔と支配のため宗久を重用し、
茶の湯においても茶堂として活躍しますが、
信長が本能寺の変で倒れてからは
次第に力が衰えていきます。
永正十七年ー文禄二年(1520ー1593)

村田珠光

2014-5-15

5月15日 村田珠光(むらたしゅこう)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日5月15日は村田珠光の命日です。

珠光は応永三十年(1423)に生まれ、文亀二年(1502)の
5月15日に亡くなったといわれています。

少年のころ奈良の称名寺に入り出家
その後30歳の頃に大徳寺の一休和尚に参禅します。

月も雲間のなきは嫌にて候
藁屋に名馬繋ぎたるがよし
など
「冷え枯るる」精神を茶の湯に吹き込み
侘び茶の創始ともいわれています。

それまでは部屋に茶道具を飾り、別の部屋でお茶を点てて
運んでいた茶室が、珠光によって
主客同座となり、床の間に墨跡を掛け、
禅の精神で茶を喫する場に変わっていきます。

珠光という号は剃髪し僧となってからの号なので
俗名である村田と並べて呼ぶのは本来おかしいのですが
現在では、村田珠光と呼ぶのが通例となっています。

遠州忌茶筵

2014-3-9

3月9日 遠州忌茶筵

ご機嫌よろしゅうございます。
本日3月9日は流祖遠州公を偲び
東京美術倶楽部において、
遠州忌の茶会がとり行われます。

遠州公のご命日旧暦2月6日にちなみ
新暦の3月第二週日曜日に
茶会を行います。

映画「父は家元」にもありましたが、
大床脇の厨子には流祖小堀遠州公の尊像が祀られ
お家元が遠州公に献茶をし、その後
天目茶碗にてお茶をいただきます。

お家元はじめ、門人一同
流祖遠州公に想いを馳せ、偲ぶ
ひと時です。
【告知】
映画 父は家元 【舞台挨拶】
金沢 シネモンドにて御家元舞台挨拶がございます。

3月15日(土) 2回目(17:25~)の上映前に行います。

遠州公ご命日

2014-2-6

2月6日  遠州公ご命日

本日は流祖小堀遠州公のご命日です。

毎年この祥月命日の2月6日には
ご家族揃って京都の大徳寺孤篷庵へ
お墓参りにいかれます。

本堂において法要を営み、
その後遠州公のお墓参りをされ
お墓参りが済むと
茶室「忘筌(ぼうせん)」において、ご住職と一緒に
お抹茶をいただきます。

孤篷庵は
1612年、大徳寺塔頭・龍光院内に、
遠州公が自らの菩提所として建立します。
この龍光院は、黒田長政が父・如水(黒田官兵衛)
の菩提寺として建立した寺です。

1643年、孤篷庵を龍光院から
現在の場所(瑞源院隣地)に移転しています。
最晩年の2年ほどはこちらにいたといわれます。

1647年、2月6日に伏見奉行屋敷で亡くなり、
ここ孤篷庵に葬られました。

 

【告知】

2月8日 長浜の慶雲館にて盆梅展がございます。

その際御家元の命名式が予定されております。