2月12日(金)能と茶の湯

2016-2-12

2月12日(金)能と茶の湯
「染付高砂花入」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「高砂」のご紹介を致しました。

この「高砂」にちなんだ道具でよく
知られるのが、
「染付高砂花入」です。

図柄と形が大変インパクトのある花入で
花入の首の裏表に描かれた二人の人物が
尉(じょう)と姥(うば)に見立てており、鯉耳のついた
砧型をしています。鯉も日本では
祝意を表すものとして好まれます。
肩には蓮弁文、胴部分に水藻文が施されて
いて、この手の類のものは「高砂手」と
呼ばれています。

日本以外にはこの手のものが見当たらないこと
から日本からの注文品と考えられ、
本歌は中国・明代末期とされています。

9月 4日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-9-4

9月 4日(金)遠州公所縁の地を巡って
「 南禅寺大方丈 虎の児渡しの庭」

ご機嫌よろしゅうございます。

各地の寺社などでは、その庭を
「遠州作と伝えられています」
と解説されていることが多く見受けられます。
その全ての真偽は定かではありませんが、
それだけ遠州公の当時の影響が強かった
ことがわかります。

そのような「伝遠州作」の庭の中で、
この南禅寺は、残された文献等から遠州公作
と確認できる数少ない作品の一つです。

借景、遠近法、大刈込といった、三次元的な技法を駆使し、
別名「虎の子渡し」と呼ばれ,左端の大きな親虎と
その横の小さな虎の子とが瀬を渡る様子を表すと
いわれています。
中国の説話では、虎の児は三頭いれば、一頭は獰猛で、
他の児虎を食べてしまうそうです。
そのため母虎は川を渡るとき、まず獰猛な児虎を
最初に向こう岸に渡して引き返し、次の一頭を連れて
渡ります。そしてまた獰猛な児虎を連れて戻り、
三頭目の虎を連れてまた川を渡ります。
そしてまた引き返して、最後に獰猛な児虎を再び連れて
渡るのだそうです。
母虎の子を児を想う気持ちが表れた
優しく雅雅な印象の庭園です。

3月 20日 (金)遠州公の異国好み

2015-3-20

3月 20日 (金)遠州公の異国好み
公開討論会テーマにそって

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は 遠州公ゆかりの地、伏見からはなれ、
明日21日に行われる公開討論会のテーマ
遠州公の異国好みにちなみ、遠州公と
関連のある異国の地についてご紹介します。

遠州公はその綺麗さびの美意識から、海外のものを
茶の湯に巧みに取り入れていきました。

オランダ
長崎奉行を通じてオランダに茶碗を注文したり、
大西浄久にオランダの文字を配した茶釜を作らせています。
また葡萄酒を会席の前にお出しするなどしていました。

中国
中国には祥瑞と呼ばれる染付の茶陶を、
景徳鎮に注文しています。その種類は香合・茶碗・水指・向付・会席鉢など多岐に
わたっています。

韓国
切型とよばれるお手本をもとに御本
茶碗を焼かせています。
その代表は御本立鶴茶碗です。

東南アジア
南蛮・嶋物など、様々な茶道具を見立てています。
また間道の裂にも遠州公が深く関わっています。
舶来の織物のなかに縞模様があり、それを仕覆に
したのも遠州公です。
間道は当時あまり知られていなかったもので
大変斬新なものでした。
遠州公が関わった名物の茶入には、
ほとんどこの間道が添えられています。

またペルシャやヨーロッパの裂を道具の箱の風呂敷に用いるなど
細かいところまで心配りしていました。

遠州公の取り上げた海外の道具は枚挙に尽きません。
異国情緒漂う物を巧みに茶の湯に取り入れていたこと
がわかります。

大応国師(だいおうおくし)

2014-12-29

12月 29日 大応国師(だいおうおくし)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は南浦紹明(大応国師)のご命日にあたります。

南浦紹明は25才の時に、中国の唐に渡って
9月4日にご紹介した虚堂智愚に禅を学び、
帰国の際、台子を日本に持ち帰った
といわれています。
大応国師の弟子・宗峰妙超(大燈国師)が
京都の大徳寺を開山します。
そしてこの弟子が関山慧元といって、
禅宗にとってこの師弟の流れが大変重要な意味を
もつことからそれぞれの三文字をとって
「応燈関」といわれています。

中国から帰って「妙勝寺」でその教えを弟子たちに
伝え、晩年ここで暮らしました。
その後酷く荒廃してしまったこの寺を
大応国師を尊敬する一休禅師が、
長い年月をかけて修復をし、「報恩庵」
(国師の恩に報いる)として
自らも住まわれました。

9月9日 重陽の節句

2014-9-9

9月9日 重陽の節句

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は9月9日 重陽の節句です。

現在ではあまり馴染みが薄いかもしれませんが
端午、七夕などと同じ五節句のうちの一つです。

古来中国では陰陽の考えから奇数を陽とし
その奇数が重なる日を節句としてお祝いしていました。
そして奇数のうちで最も大きい奇数である9が重なる
9月9日は大変おめでたいとされ、

菊を浮かべた酒を飲んだり
被綿(きせわた)といって、真綿で菊を包み、菊の露や香りの移った
その綿で肌をぬらすなどして長寿を祝いました。

「枕草子」にも
菊の露もこちたく
覆いたる綿などもいたれ濡れ、
うつしの香ももてはやされて…

と着せ綿の様子が記されています。

宗家の稽古場でも、この日には
ご先代が大和絵をもとに再現した着せ綿
をお家元が床の間に飾られます。

中秋の名月

2014-9-6

9月6日 中秋の名月

ご機嫌よろしゅうございます。
明後日の9月8日は十五夜です。

中国では旧暦7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋といい
それぞれの月の満月の夜には月見の宴を開きました。

特に一年のうちで最も明るく美しい月がでるとされる
仲秋8月15日は、「十五夜」と呼び、愛でられており
日本でもこの風習が平安時代に貴族の間に広まります。

中国では満月が最も美しいとされていましたが、
日本ではこれから満ちて行く月、欠けていく月
新月から満月に至るまでのそれぞれの月に名前をつけ
その月の変化も楽しみました。

立って待つから「立待月(たちまちづき)」
座って待つ「居待月(いまちづき)」
寝て待つから「寝待月(ねまちづき)」
…といった具合です。

遠州公の「満つれば欠くる」美意識
それに共通する、不可足の美の精神が
古くから日本人の心の中にあったことが
この月の名前からも感じられるのではないでしょうか。

さて、今年の十五夜は満月になり、とても珍しいとのこと。
十五夜だから毎回満月…ではないのです

中元(ちゅうげん)

2014-7-15

7月15日 中元(ちゅうげん)

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお中元のお話を。

お世話になった方へ贈り物をする現在のお中元
この習慣は古くは神や御先祖への捧げ物でした。

もともと中国では道教に由来する年中行事として
年三回、それぞれ天官、地官、水官
という神々にささげものをする日があり、
その中で15日に祀る地官のことを「中元」と呼びました。
この中元の神様は善悪を分別し、人間の罪を許す役目なので
さまざまな贖罪の行事が催されます。

この風習が日本にもたらせられ、お盆の祖霊供養に
お供えを贈った風習と混じり合って
仏に供えるお供物を親戚や隣近所に贈る習慣となった
といわれています。

素麺

2014-7-8

7月8日 素麺(そうめん)

ご機嫌よろしゅうございます。
七夕の昨夜、皆さんは何を召し上がりましたか?

朝廷ではこの日の夜の食事には、中国の故事に基づき
索餅という小麦料理を食べていました。
索には縄をなうという意味があり、
細く紐状にし、二本の縄のように合わせたものだと
考えられています。
中国では7月7日に亡くなった帝の子供が疫病を流行らせ、
その魂を鎮めるために7日の日に
好物だった索餅が供えられていました。

この索餅が奈良時代に日本に伝わり、
麦の収穫期に麦餅を作る風習とともに宮中行事に取り入れられ、
一般にも広がっていきました。

そして索餅はのちに素麺に変わり、
七夕に素麺を食ベるようになったといわれています。

また、そうめんを天の川や織姫の織り糸に見立てて、
七夕に素麺を食べるという説もあります。

この素麺の具、筆者はシーチキンを入れるのが定番です。
コクがでておいしいので必ず入れます。
皆さんのお気に入りの具はなんですか?

七夕

2014-7-7

7月7日 七夕(たなばた)

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は七夕
五節句のうちの一つです。
この夜、天の川を隔てて暮らす牽牛(けんぎゅう)と織女が、
一年で一度だけ会える日とされています。
この伝承は奈良時代に中国に伝わり、
平安時代には供え物を庭に並べ、裁縫や管弦などの上達を願いました。

七夕は、この牽牛・織女星の伝説と、
そこから発達した乞巧奠(きっこうでん)の行事に、
日本古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」の信仰が
混ざり合って形成されたものです。

このたなばたつめは機で織った布を神におさめ、
病気や災厄が起こらないように、そして裁縫の手が上達するよう
願ったとされていて
もともと7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)
と呼ばれていましたが、
この「棚機つ女」がもとになり「たなばた」と
呼ばれるようになりました。

例年曇りがちで、なかなか空がすっきり見られないのが
悩ましいところです。
さて、本来この七夕は旧暦の7月7日でないと星座が違ってしまいます。
従って、残念ながら実際の所
二人が会えることは極めて稀ということになります。

遠州公の愛した茶入「面壁(めんぺき)」

2014-6-14

6月14日 遠州公の愛した茶入「面壁(めんぺき)」

ご機嫌よろしゅうございます。

本日は遠州蔵帳所載の茶入「面壁」について
お話します。

作者は泉州堺の眼科医であり儒者であった
正意という人物と言われています。
茶人としても名高く、この茶入の他に
「初祖」「六祖」などの茶入もその手によると言われています。

茶入れの姿から達磨大師が、中国の少林寺で無言のまま九年間
壁に面して座禅し、悟りを開いたという故事をとって、
遠州公が命銘しました。

正意作の茶入はいずれもずんぐりとして肩が丸いので
禅僧の姿にちなんだ銘を付けています。

遠州公の茶会では5回ほど使用された記録が残っています。