七夕

2014-7-12 UP

7月12日 「七夕」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州蔵帳所載の茶入で
「七夕」の銘を持つ茶入をご紹介します。

二代大膳宗慶が
これほどの茶入は、大切にして年に一度位に取り出すの
がよいという意味で「七夕」と名付けたと言われており、
内箱書付は大膳宗慶が「七夕」と書き付けています。

遠州公の茶会記には特に記載はありません。

小堀家から神尾若狭守元珍に伝わり、その後小堀家茶道頭
和田晋兵衛の所持となり、同家に伝わりますが
大正時代中村太郎吉の所蔵となります。
「神尾蔵帳」にも記載されています。

遠州公の愛した茶入「面壁(めんぺき)」

2014-6-14 UP

6月14日 遠州公の愛した茶入「面壁(めんぺき)」

ご機嫌よろしゅうございます。

本日は遠州蔵帳所載の茶入「面壁」について
お話します。

作者は泉州堺の眼科医であり儒者であった
正意という人物と言われています。
茶人としても名高く、この茶入の他に
「初祖」「六祖」などの茶入もその手によると言われています。

茶入れの姿から達磨大師が、中国の少林寺で無言のまま九年間
壁に面して座禅し、悟りを開いたという故事をとって、
遠州公が命銘しました。

正意作の茶入はいずれもずんぐりとして肩が丸いので
禅僧の姿にちなんだ銘を付けています。

遠州公の茶会では5回ほど使用された記録が残っています。

遠州公の愛した茶入

2014-5-31 UP

5月31日 遠州公の愛した茶入
「埜中(のなか)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「埜中」を
御紹介します。

中国から渡ってきた茶入で

おもはくは埜中にとては
植えおかじ 昔は人の軒のたちばな

慈鎮和尚

の歌意にちなんだものと思われます。
遠州公の茶会記には特に記載が残っていません。
松花堂昭乗との関係があるようで
挽家の「埜中」の字は松花堂昭乗によるもので、
茶入に添えられているお盆の箱書も松花堂昭乗の筆です。

さらに「遠州松花堂贈答の文」の一軸が添えられています。

遠州公の愛した茶入「玉柏」

2014-5-24 UP

5月 24日 遠州公の愛した茶入
「玉柏(たまがしわ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入
「玉柏(たまかしわ)」を
ご紹介します。

「玉柏」は
奈良屋弥兵衛が、摂津国の難波の浦で
見出したことから、遠州公が千載和歌集の恋歌
ちなんで命銘されました。

難波江の藻にうづもるる玉柏
あらわれてだに人をこはばや

難波江の藻に埋もれている石が水面にあらわれるように、
せめて思いをあらわして人を恋いたいなあ。

玉がしわは玉堅磐、海中の岩のことで
井伊直弼の『閑窓茶話』には「玉柏といふ茶入は、
黒きなだれの薬どまりに大なる石はぜあり、
因て遠州玉柏と名づけらる、玉柏は石の異名なり」とあります。

遠州公の茶会では
寛永十九年(1642)を最初に三回ほど使用されています

遠州公の愛した茶入「下面(しためん)」

2014-5-17 UP

5月17日 遠州公の愛した茶入「下面(しためん)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「下面」を
ご紹介します。

昨日遠州好みの面取についてお話ししました。
この茶入はその好みがもっともよく表れたもので
その形状から遠州公が命銘したと思われます。
書籍等でご覧になったことのある方も多いかと思います。

高取焼きは遠州公指導の窯の一つで
遠州高取とも呼ばれます。

この茶入は、その遠州高取の絶頂期である
白旗山窯(寛永七年・1630)
のときに作られたものとされています。

遠州公の茶会記に高取焼茶入が初めて登場するのが
寛永五年(1628)4月23日で、同じ年に6回
寛永十年(1633)に1回、寛永十九年(1642)に2回
合わせて約九回使用したことが確認できます。

このうちこの下面が使用されたと考えられるのは
寛永十年以降と思われます。

遠州公以来小堀家歴代に伝わる茶入です。

遅桜(おそざくら)

2014-4-28 UP

4月28日 遅桜(おそざくら)

ご機嫌よろしゅうございます。
東京では桜の見頃もいよいよ終わりを迎える頃かと思います。

今日は桜の名を銘に持つ
大名物「遅桜」についてご紹介致します。

以前にご紹介した初花の茶入はすでに
世上第一として広くその名を世にとどろかせていましたが、
その後に新たに見出されたのがこの茶入れでありました。

そこで

夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな

という金葉集の歌に因んで
足利義政が銘をつけたとされています。

初花より景色の暗い釉薬で、華美でないところが
かえって品位の良さを感じます。

この茶入は徳川家の所蔵、柳営御物となり
後に三井家に伝わります。

過日、東京都目黒美術館で行われた御先代の
「紅心 小堀宗慶の世界」展にて
この遅桜と初花を隣り合わせとして展示されたことは
大変珍しいことで、後にも先にも
このときばかりかもしれません。

ご覧になれた方、大変な幸運でした。

藤波(ふじなみ)

2014-4-26 UP

4月  26日  遠州公の愛した茶入「藤波(ふじなみ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「藤浪」
をご紹介します。

この茶入の釉薬のかかった景色が
藤の花の垂れ下がるようすに見られることから

新古今集 春歌の

かくてこそ みまくほしけれ 万代(よろずよ)を
かけて忍べる 藤波の花

の歌から命銘したといわれています。
箱の裏には遠州公がこの歌をしたためた小色紙が
貼り付けられています。

挽家(ひきや)とよばれる茶入の入れ物に施された意匠は、
紫檀(したん)に藤の花が咲く模様を全面に彫り、
沈金を施していて大変珍しいものです。

藤の花は二季草(ふたきぐさ)の名もあるように
春から夏へ、ふたつの季節にまたがって咲き
和歌でも古今集等、春・夏の部ともにその名が見られる花です。

遠州公の愛した茶入 春慶瓢箪(しゅんけいびょうたん)

2014-4-19 UP

4月19日 遠州公の愛した茶入                     春慶瓢箪(しゅんけいびょうたん)

ご機嫌よろしゅうございます。  今日は遠州蔵帳所載「春慶瓢箪」についてお話します。

春慶とは、瀬戸窯の初代である加藤四郎左衛門  (藤四郎)が、晩年に春慶と称してから作ったものであると言われてる 茶入れの一群です。   この茶入は形そのままに、遠州公が命銘したものです。

瓢箪の形については 遠州公の好みの形で昨日ご紹介させていただきました。

お茶会ではおよそ七回使用されていて、第一回を除いて  いづれもお正月に使われています。

瓢箪という形は縁起の良い形です。 また遠州公が好んだ意匠でもあり、  遠州公が関係する様々なところで、この瓢箪の形を目にします。

相坂

2014-3-22 UP

3月22日 遠州公の愛した茶入「相坂」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入
「相坂(おうさか)」をご紹介します。

瀬戸の窯で丸壺はあまりないようで
大変珍しいものです。

大切なお道具には、本体そのものは小さくても
仕服や蓋、盆など様々な付属がつき、
、その何倍にもなる大きな包みにくるまれていたりします。
この「相坂」もが仕服が四種に牙蓋が七枚、盆なども
作られ、その遠州公の愛憎ぶりが伺えます。

茶会では12、3回ほど使用しています。

「逢坂の嵐の風は寒けれど 行衛しらねば侘びつつぞぬる」
古今集 読み人知らず
の歌による銘で
これほどの茶入にまた合うことはないだろうとの
意味がこめられています。