龍潭寺

2020-3-28

浜松には遠州公作と伝わる庭のある寺があります。
それが龍潭寺。龍潭寺は徳川幕府を支えた筆頭井伊氏の菩提寺です。2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、歴史に翻弄され、一度は出家をしながらも元許嫁の息子直政を井伊家の当主として育てあげるため還俗し、女城主として奮闘する直虎の一生が話題を呼びました。この直虎が出家し過ごしていたお寺です。
四季折々にその姿を変化させる美しいその庭は、遠江国に残る伝遠州作庭園といわれる「遠州三名園」の一つに数えられています。
井伊直政が彦根の佐和山城主になったのを機に、1600年彦根にも龍潭寺の分寺が建てられましたが、こちらの庭も遠州公作と伝えられています。
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浜松城主

2020-3-27

浜松
これまで、この浜松城主は松平重仲と考えられていましたが、
この旅日記が記された1621年(元和七年 辛酉紀行)の浜松城主は
浜松出身の高力忠房の可能性があります。
高力忠房は1619(元和5)年に浜松へ転封。
20年浜松をおさめた後、1638(寛永15)年には
肥前国島原(現:長崎県)へ転封。
幕府から信頼されていたため島原の乱の戦後処理のために
譜代の家臣の中でその任務に耐えられる人物として島原藩転封となり、
藩主として以外にも長崎警備、外様大名の多かった九州のとりまとめを任されています。
また息子隆長の正室は、遠州公と公私に渡り交友の深かった、永井尚政の娘です。
仕事柄、長崎奉行との関わりも深い遠州公ですので、
なんかの関係があったことが考えられます。
旅日記で遠州公の出立まで出向き、名残を惜しんだ様子も頷けます。

浜松城

2020-3-26

旅日記では遠州公の知り合いの浜松城主が、
遠州をしきりに城にうながし、
出発の際にも名残を惜しんで見送る様子が記されています。
この浜松城は「出世城」としても有名です。
天下人となった徳川家康が、29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごし、
有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの時期にあたります。
家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの譜代大名が守り、
藩政260年の間に25代の城主が誕生しました。
歴代城主の中には幕府の要職についた者も多い
(老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人※兼任を含む)
ことから、後に「出世城」と言われるようになりました。

9月28日 訳文

2020-3-25

9月28日 旅日記

28日 朝天晴。
知り合いである浜松の城主が使者をよこしてきた。
中和泉を過ぎて、天龍川の船渡を経て、浜松にさしかかる。
城主がまた遣いをよこしてきたので、案内させて城に入る。
長いこと滞在していたが、お昼頃にぱらぱらと雨が降り出した。
今日は城にお泊りくださいと城主にしきりに引き留められるのを辞して、
今切のほとりまでは進みたいと思っていることをお伝えして城をあとにした。
城主は名残を惜しんではるばる見送りにでてくれて別れた。
細雨が降り、風も静かであった。その名の通りの浜松は二本並んでいる。
汀に寄せ来る浪の音も、松の間を抜ける風の音も美しく響いている。

浪の音に はま松風の 吹合せ 
折から琴の 音をや調ぶる

霧雨のような衣が濡れるほどではない雨が降るなか、新井の渡りに到着する。
急に風が激しくなって、波も音を立てている。雨足も強くなってきた。

山風の 秋の時雨を 吹来ては 
浪もあら井の わたし舟哉

雨と浪で濡れた袖も乾かしおわらぬうちに舟からおりた。
ここで宿を取り一泊。燭の明かりが灯る頃、京都から文が届けられた。
故郷のことなどの話を聞いて過ごした。
夜も更けたが、雨風は止む気配がない。