6月27日(月)久保権大輔

2016-6-27 UP

6月27日(月)久保権大輔

ご機嫌よろしゅうございます。 明日6月28日は久保権大輔の命日にあたります。 久保権大輔は奈良春日社の神官の家に生まれます。 「長闇堂」とも呼ばれ、侘茶人としても知られています。そして遠州公とも深い親交がありました。 身分も低く貧しい権太夫が、名物道具を拝見するには どうしたらよいかと遠州公に相談したところ、袋師になることを勧められたという話が残っています。 袋を作るには実際に道具が手元になくては作れません。袋を作る間だけ、様々な道具が手元におけるというわけです。 息子の杢(もく)もその後を継いでいます。 また権太夫が方丈の庵を作り遠州公に 額を頼みました。 それが「長闇堂」 この名は遠州公が鴨長明にちなみ、「長明は物知りで明晰であったがあなたは物を知らず”智にも暗いので ”闇”だ」 というわけで長闇堂と名付けたと言われています。 寛永十七年(1640)六月二十七日亡くなります。遠州公は死を悼み、自ら筆をとり 文に歌を書き付けています。

春の日の光をあふぐ法の舟 ちかひのうみは 浪かぜもなし

6月24日(金)能と茶の湯

2016-6-24 UP

6月24日(金)能と茶の湯
「今春金襴」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「金剛裂」をご紹介しました。

今日ご紹介するのは「今春金襴」
これも豊富秀吉がシテ、家康がワキを
演じた大坂城中の能の会に招かれ
後見をつとめた今春太夫が、秀吉から
賜ったものと言われています。
今春は鎌倉期から興福寺春日社に
奉仕していました。

秀吉は大変な能好きで今春を習い、
三日間の天覧能に十四番も自分で舞ったり、
家康や前田利家と三人で狂言を演じた
と言われています。

この「今春金襴」は「金剛裂」より縞が細い
ものが多く、様々な金文が円形に配置されて
います。
茶入の仕覆としては、中興名物広沢手「秋の夜」
「皆ノ川」本歌、薩摩甫十「玉水」などがあります。

6月 20日(月)6月の花嫁

2016-6-20 UP

6月 20日(月)6月の花嫁
結婚とお茶

ご機嫌よろしゅうございます。

6月に入り、雨の多い季節となりました。
お天気が崩れることが多く、気分も
晴れないこの時期ですが
ジューンブライドという言葉もよく
聞かれるように結婚にとっても
よい時期とも考えられています。

この結婚に際して、北九州などでは結納の品として
お茶を用意することがあるようです。
これには理由がありまして、茶の木は植え替えが
しにくいことから、嫁入り先にしっかり根づくように、
という願いが込められているのだそうです。
またおもしろいことに、中身のお茶は
あまり上等でないものが選ばれます。
結婚に「出る」という言葉は禁句のためよく
「出る」お茶はあえて贈らないのだそうです。

6月 17日(金)能と茶の湯

2016-6-17 UP

6月 17日(金)能と茶の湯
「金剛裂」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は能に所縁の深い裂地のご紹介を
致します。
黄・白・浅緑などの八色の縦縞の地全面に、
菱の模様をおりこみ、金の色を抑えながらも
瀟洒で高雅な趣を醸し出しているのが
「金剛裂」です。
この裂は、能楽師の金剛太夫が大坂城中での
会に招かれ豊富秀吉から引出物として
賜ったと伝えられています。
金剛座のもとは、古くは鎌倉期法隆寺に奉仕していました。
能装束が縫箔や唐織の華美なものになるのは
この頃からで、そいれ以前は武家の日常衣服の狩衣
水干、小袖を用いており、それを演技の褒賞に与える
ことが恒例となっていました。
これが応仁の乱の後、能の様式化、
衣装の特殊化が進んでいきます。

この金剛裂は大名物「種村肩衝茶入」や、「槍の鞘茶入」
中興名物「金華山鷹羽屋」「玉川」本歌などの仕覆に
用いられています。
卍や雲鳥模様などがみられるものは、この裂の反物の
織留部分を好んで多く使われたことによります。

6月 10日 (金)能と茶の湯

2016-6-10 UP

6月 10日 (金)能と茶の湯
「羽衣」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「羽衣」のあらすじをご紹介しました。
今日は「羽衣」を銘にもつ志野茶碗をご紹介します。
志野の名碗「羽衣」は

正面に見える強い焦げがあり、
見る者全ての目をひきつけます。
高台は荒々しく、暴れていて特徴的です。
今に伝わる志野茶碗の中でも特に印象的で力強い茶碗です。
志野は桃山時代を代表する美濃焼の一つです。
艾土(もぐさつち)と呼ばれる白い土に長石釉(志野釉)
を厚めにかけて作られます。
釉の下に鬼板と呼ばれる顔料で文様を描き焼成すると
条件によって黒や赤、鼠色、褐色に変化します。

内側に一筆ふわっと引かれた線があり、これを
天に舞う天女の羽衣に見立てられたことからの
銘とされています。

6月3日(金)能と茶の湯

2016-6-3 UP

6月3日(金)能と茶の湯

「羽衣」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は能の中でも特に人気の高い「羽衣」
をご紹介します。
 
ある朝、三保の松原に住む漁師である白龍は
松の枝に掛かった美しい衣を見つけます。
家宝にするため持ち帰ろうとしたところ、
天女が現れ、その羽衣を返して欲しいと頼みます。
初めは返すつもりのなかった白龍でしたが
天女の嘆く様子を哀れんで、舞を舞ってくれるならば
返そうと言います。
羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう、
と疑う白龍に、天女は
「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」
と返します。この天女の言葉に感動し、
白龍は衣を返します。
 
羽衣を着た天女は、月世界の神秘と美しさ
さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い、
やがて富士山へ舞い上がり消えていきました。
 
羽衣伝説は各地に伝わっており
古くは「丹後国風土記」などに見られます。

5月30日(月)ほととぎす

2016-5-30 UP

5月30日(月)ほととぎす

 

ご機嫌よろしゅうございます。

先週御紹介しました小倉色紙が登場する

こんな逸話がありますので、御紹介します。

 

聚楽第にて関白秀次が、

利休をはじめとする客を招いた時のこと

時は四月二十一日、暁の頃茶室には短檠の明かりもなく、

ただ釜の煮え音ばかりが聞こえるだけ

さて一体どういった御作意でろうと思っていると

利休の後ろにある障子が、ほのぼのと赤くなっていく

不思議に思って障子を開けると

月影が床の間を照らしている。

にじり寄って見てみると

 

ほととぎす鳴きつる方をながむれば

ただ有明の月ぞ残れる

 

の小倉色紙の掛け物がかかっていました。

なんと素晴らしい御作意であろうと

皆感嘆したのだそうです。

5月 27日(金)能と茶の湯

2016-5-27 UP

5月 27日(金)能と茶の湯

「大会(だいえ)」

 

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「大会」のあらすじをご紹介しました。

今日はこの「大会」という銘の竹花入をご紹介します。

遠州流では、例年正月にお家元が青竹を自ら切り花入とします。

青竹の清々しさと、綺麗さびの瀟洒な美意識が表された

姿の花入とは対照的に、この「大会」は、

どっしりとした根付きの迫力ある花入です。

豊臣秀吉作、利休所持の由緒を持ちます。

「大会」とは大規模な法会、大法会の意味を表す言葉です。

禁中での能・狂言の会を含め、秀吉は「大会」を六度演じています。

スペクタクルな視覚的にも楽しめる内容の能で、

天狗扮する釈迦説法の荘厳な大会の光景が

目の前に広がるような姿の花入です。

5月 23日(月)ほととぎす

2016-5-23 UP

5月 23日(月)ほととぎす

 

ほととぎす鳴きつる方を眺むれば

ただ有明の月ぞ残れる

 

ご機嫌よろしゅうございます。

初夏の訪れを知らせるものに、ほととぎすが挙げられます。

平安の時代、貴族の間ではほととぎすの第一声である

「初音」を聴くのがもてはやされました。

山鳥の中で朝一番に鳴くといわれるほととぎすの声を

なんとか聴こうと、夜を明かして待つこともあったようです。

先ほどの歌は百人一首、後徳大寺左大臣、藤原実定の歌です。

 

ほととぎすが鳴いたその方角を眺めやると、

そこにはただ明け方の月が暁の空に残るばかりだ。

 

実定は定家の従兄弟に当たる人物で、

詩歌管弦に非常に優れた人物でした。

祖父も徳大寺左大臣と称されたので、

区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれます。

実定も夜を徹して初音を待っていたのでしょうか。

一瞬のほととぎすの声に、はっと目をやるとそこに姿はなく、

夜明けの空にうつる月の明かりだけがみえる

聴覚世界と視覚的世界を美しく詠み込んだ歌です。
 

5月 20日(金) 能と茶の湯「大会(だいえ)」

2016-5-20 UP

5月 20日(金)能と茶の湯「大会(だいえ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

十五日は七十二候の「竹笋生(たけのこしょうず)」でした。

またこの季節に「筍流し」という夏の季語として使われる言葉があります。

「たけのこ」が生える頃に吹く、雨を伴いやすい南風のことを表します。

竹の花入で能に所縁のあるものに「大会」があります。

今日はこの「大会」をご紹介します。

 

ある日比叡山で修行していた僧のもとに、一人の山伏が訪れ、

以前命を助けられた者だと言って礼を述べます。

この山伏、かつて僧が京童達にいじめられていたのを

助けた鳶(とび)でした。(この鳶は実は天狗)

釈迦が法華経を説いた時の様子を自分の目で見たいとの

僧の願いを、山伏は「叶えるが、信心を起こしてはならぬ」と言い、

僧の目前で釈迦に扮して再現します。

僧は先刻の約束を忘れて思わず信心を起こしてしまい

天から帝釈天が現れ、信心深い僧を幻惑したとして大天狗を責め立てます。

もとの姿に戻った天狗は、帝釈天に対して平謝りし逃げ帰っていきました。