試みる

2022-5-1 UP

 気がつけば、もう五月の声を聞く頃になっている。桜の開花と同時に、今年は多くの人々が今までの我慢に耐えたご褒美のように花見に出かけていた。やむを得ないと理解しつつ、一方では新型コロナウイルス感染症のことも忘れるわけにはいかない。おそらくこのような状態が数年間は繰り返されるのであろう。

 だからこそ、現状に向き合って的確に判断し、対処する姿勢が肝要となってくる。

 三月には、宗家研修道場において、二日間に分けて遠州忌茶筵を開催した。昨年は三月を東京、四月をその他の地域を対象として計画したところ、四月は感染状況の悪化によって中止となってしまった。そういう事例を鑑み、今年は二日連続に踏み切った。感染対策は昨年より経験値を積んだこともあって、向上はしたものの、二日目の東京以外の方を対象とした日は初日に比べると若干、参会人数が少なかった。

 去年来、耳にしていることではあるが、東京を訪れた方、特に医療関係や公務員等の方たちは、帰郷したあとは職場に戻るまで一週間から10日間ほど休まなければならないというのが現実のことである。ある先生には、東京訪問後は、ご自身のお稽古を1~2週間お休みされていると聞かされている。本当に厄介な事態になったものである。そういったいきさつがあり、二日目参会の方からは二年ぶりに遠州忌に来られてよかったと心からの喜びの声を私にかけていただいた。その言葉を受け、本当に嬉しく、亭主冥利に尽きるものだと思った。リモート、オンラインでは感じることのできない感覚が、久しぶりにわが身に蘇ったものだ。

 その感動はそのまま茶事へとつながっていった。もちろん、今年の予定として三月の末に計画はしていたが、やはり点初めと、遠州忌茶筵の開催によることが、私の背中を強く押したのであった。  茶事に関して、コロナ禍の最中に、実は一昨年の暮れ一度催したことがあった。このときはもちろん、状況が落ち着いていたときでもあったが、とにかく、新しく試みをしなければという使命感もあり、果敢に挑戦した感もあった。去年はやや諦観もあり行わなかったが、今年は新しい形式をきっちり行うという考えのもとである。わずか五回ではあったが、それなりの感触はつかめた気がしている。生きてゆくなかで楽しいこと、嬉しいこと、腹立たしいこと、悲しいこと、数多あるけれども、人は歩みを止めてはいけない、なにごとも試みる気持ちを忘れずにいることが大切であると気づかされる昨今である。