茶の湯のパワー

2022-6-1 UP

 世の中の動きが、だいぶ活発になってきていると感じる昨今である。コロナ禍以前と全て同じというわけにはいかないが、私自身の行動範囲もかなり元に戻りつつある。奈良、福岡、名古屋、大阪、金沢への出張稽古も再開しているし、五月以降は、支部出張を始め、多くの計画が予定されている。

 主たる移動は新幹線と飛行機である。新幹線は最近とみに混雑し始めている。その傾向はゴールデンウィークの前、四月中旬あたりから目立ってきている。二年あまり、隣の座席に人がいることはまずなかったのであるが、ここのところ数回は満席に近いことがあった。人間とは不思議なもので、誰も近くに人のいないことに慣れてしまった感覚は、なかなかすぐには元に戻れないものだ。むしろ、ゆったりとした快適さを身体が覚えてしまい、前後左右が人によって囲まれることに、妙な緊張感をもってしまう自分に改めて気づかされたものである。

 ソーシャルディスタンスという言葉は、このコロナ禍においては言い得て妙とは思ったが、いつの間にか、本来の意図するところと離れて、人と人との心の間における溝や隙間をつくってしまう表現に変容してしまっている気がする。リモートやオンラインを日常のものとして受け入れている私たちの心に、効率の良さや、無駄を省き成果をあげる目的であったはずのそうした手段が別の形で入り込み、本来望んでいなかった人間同士の乖離を生み出しているのは皮肉でもあり、悲しいことでもある。

 私は以前、「三密」の表現がよく使われるようになりお茶会がその象徴のようにいわれたときに、「茶会の本来の姿、形式は密ではなく、清潔な空間で適正な人数で行われていれば、小間では風も通るし、窓も開閉自在である」と申し上げたことがあった。しかし、「そこでの主客のやりとり、心の交わりは濃密なものですよ」と。

 これこそ、茶の湯の魅力であり、ほかの伝統文化にはない特徴であると思う。主客が皆、同じ高さの場所に座し、同じ目線で、掛物を拝見し、花を愛で、茶を喫し、そして茶道具を手に取り言葉を交わす。これは本当に優れたコミュニケーションツールである。であるから、今、私たち茶の湯を学び楽しむ人間は、この喜び、嬉しさ、感動を自分たちのものだけではなく、できるだけ周囲の多くの人たちに伝えてほしいと願っている。そうすることが、この数年間で喪失してしまったものを取り戻し、新しい形を創出することにつながると思う。茶の湯にはそのパワーがあると信じて疑わない。