1月 12日 (月)天籟(てんらい)
ご機嫌よろしゅうございます。
平成27年 遠州茶道宗家 稽古照今 点初め
も今日で3日目。
気落ちも新たに、神楽坂に足を運ばれている
ことと思います。
さて、普段通い慣れた門人の皆様、
この宗家道場内にある扁額「天籟」はどこにかけられているか、
覚えていらっしゃいますか?
玄関を入って履物をしまい、
つくばいで手を清めて、クロークにはいると
大きな鏡の上に、この字がかけられています。
鏡の前で身支度を整える皆様の動作を
この「天籟」の二文字が
見守っています。
「荘子」斉物(せいぶつ)論の一説に
こんな話があります。
古代の学者南郭子綦(なんかくし)は机に身を寄せ掛け、
空をあおいで静かに呼吸を整えていくうちに、全身から
その正気が消え失せ、魂の抜け殻のような姿に変わって
いくようにみえました。
弟子の顔成子游(がんせいしゆう)がそれを見て、驚いて
いると、意識の戻った子綦が、
「よく気がついたな。今私は自分を失っていたのだ。
お前は人籟を知っていても、
地籟を聞いた事は無いだろう。
ましてや天籟を聞くことは出来ないだろう」
と話しました。
これについて子遊が問うと
「大地の吐く息、それを風と呼ぶ…」
と風によって奏でられる大自然の響きを説きます。
「地籟は地上の穴が和して発する音楽、
人籟は人が楽器でかなでる音楽。
ならば天籟はどういうものですか」
と子遊に尋ねられた子綦は
「天籟とは、人籟、地籟を超えた宇宙の音楽
で、地球上の万物があるがままに調和している姿。
自他の区別を超えて空(くう)になりきる時
人間は限りない調和の世界に入ることができる」
と説きました。
珠光の唱えた、我慢我執を捨て去った茶の湯の境地
「天籟」とはこれに通ずる姿に他なりません。
ご先代は、この心を持って茶の湯の稽古に臨んでほしいと
いう願いで、この字を書かれました。
鏡にうつる姿を整え、同時に目には見えない心も整えて
道場に入ってもらいたい
そんな願いが込められています。
12月 30日 大津馬(おおつうま)
ご機嫌よろしゅうございます。
宗家の除夜釜では例年、
寄付の床に飾られる掛物があります。
何ゆゑかおもに
おほ津のうまれきて
なれもうき世か我もうきよに
という歌とともに描かれた大津馬。
大津馬とは大津の宿駅で、荷物の運送に使われていた
馬の事をいいます。
12月11日にご紹介した沢庵和尚が配流の前に、
江戸に呼ばれて東下りする途中に
詠んだ和歌といわれており、
その歌意を汲んで、松花堂昭乗が「大津馬」
を描いたとされる絵が、
根津美術館に残っています。
この寄付に掛けられる大津馬はその絵の
宗中公の写しです。
この馬を眺めていると
一年の時の流れと人の一生、
そんなことをふと考えてしまうような気がします。
今年の干支は午(うま)でした。
皆様の今年一年はどんな年でしたでしょうか?
明日はいよいよ大晦日です。
12月 28日 益田鈍翁(ますだどんのう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は近代の実業家であり茶人であった
益田鈍翁の命日にあたります。
幕末の佐渡の幕臣の家に生まれますが
上京して大蔵省に入省します。
後、三井物産を創業。
茶の湯は不白流川上宗順に学び、
大師会・光悦会などの大茶会を催すなど
茶道復興に大きく寄与しました。
鈍翁の有名なエピソードとしては、
佐竹本三十六歌仙があります。
戦後、高額すぎて一人では購入できなくなっていた
佐竹本三十六歌仙の絵巻物。海外流出を恐れ、
鈍翁の発案で、三十六枚に切断し、
それぞれクジで入手者が決められました。
斎宮女御が欲しかった鈍翁ですが、クジで当たったのは
人気が低い僧侶の絵。
鈍翁は大変不機嫌になり、斎宮の当たった人物が
「交換致しましょう。」と声をかけ、
大変満足されたというお話しも残っています。
12月 27日 鐘聲(かねのこえ)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入ではなく
先々代から当代のお家元まで、
大晦日の除夜釜で使用している
「鐘聲(かねのこえ)」という銘の茶入を
ご紹介します。
大正12年震災により、稽古中水屋に置いてあった
一つの茶入が割れてしまいました。
当時は稽古道具というものはなく、お弟子さんが
お稽古をする際にも小堀家に伝わる、歴史ある
道具が使われていました。
その茶入も利休が好んだとされる利休瀬戸。
それが見事に割れてしまったのです。
先々代の宗明宗匠は、その茶入の破片を丁寧に
つなぎ合わせ、歌銘を添えました。
百八の煩悩くだく鐘の音に
鬼もすみかにたちかへるらむ
壊れたことで、逆に道具に新しい命が吹き込まれ
以後、除夜の鐘が打たれる年の瀬に、
この茶入が用いられるようになりました
12月 17日 歌銘(うためい)
ご機嫌よろしゅうございます。
遠州公が中興名物茶入の選定に際し、
「歌銘」を多くつけたことは、
これまでに何度かお話してまいりました。
その出典は勅撰集を中心に、古典的な
和歌から言葉を選び、つけられています。
雅で洗練された「綺麗さび」を象徴するもの
の一つです。
しかしこの「歌銘」
遠州公が初めて使ったわけではありません。
今のところ一番古い「歌銘」は、
4月28日にご紹介した、義政公の「遅桜」
夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな
といわれています。
しかし、それ以後は遠州公ほどに「歌銘」
を多用した茶人は他にいません。
また、和歌の選び方にも、遠州公は
これまでにない感覚を茶の湯に吹き込んでいます。
12月 10日 看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は師走に入るとよく掛けられる
禅語をご紹介します。
看々臘月尽(みよみよ ろうげつ つく)
臘月(ろうげつ)は、十二月の別名です。
看々(みよみよ)とは、良く見なさいという
ような意味。
月日の流れはあっという間
もう十二月も終わってしまいますよ。
よくよく一日一日を大切にしなさい。
また「臘月」は、一年の終わりの12月を指すと
同時に、私たちの人生や命という意味も暗示しています。
十二月があっという間に終わるのと同じように、
人生もあっという間に終わってしまいますよ、
ぼんやり生きず、自分の命をしっかり見つめ直しなさい。
「また今度やればいいや」
普段、ついつい面倒なことを後回しにしがちですが
己の人生と向き合い、
看々臘月尽の心を忘れずに過ごしたいものです。
12月 6日 遠州公の愛した茶入
「飛鳥川(あすかがわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入「飛鳥川」を
ご紹介します。
昨日といい今日と暮らして飛鳥川
流れて早き月日なりけり 古今和歌集
の歌からつけられた茶入「飛鳥川」。
遠州公が泉州堺において初めてこの茶入を
見たとき、まだ新しい茶入に見え、
それほどの感動はなかったのですが、
後年再び伏見で見たところ
すっかりとてなれて、思いの他
古色を帯びていたところから、
この歌から銘をつけたと言われています。
寛永十五年の十月に江月和尚を招いて使用したの
をはじめとして、およそ六十九回の使用を
確認でき、いかにこの茶入を遠州公が
愛蔵していたかがわかります。
11月 28日 遠州流の茶筅
ご機嫌よろしゅうございます。
一昨日遠州流の柄杓のお話しを致しました。
今日は茶筅のお話しを。
ほとんどのお道具は、季節が変わると、
それに合わせて大振りのもの小ぶりのものに
改めますが、茶筅は大きさを変える必要なく
通年使える茶道具です。
そして他の道具のような華やかさはありませんが
代用のきかない、重要な茶道具です。
煤竹・白竹など茶人や流儀の好みによって、様々な
色合いや穂先の形の茶筅があります。
遠州流の茶筅は白竹を使い、穂先の根元をかがる黒い糸の
結び目を見ると穂の内側で結ばれているのがわかります。
これは大変難しい技術ですが大きな特徴となっています。
ほとんどのお流儀ではこの結び目が表にでているので
遠州流の茶筅との見分け方はここをみれば
すぐわかります。
遠州公を流祖とする大名茶ならではの
手がこんだ茶筅です。
11月 27日 遠州好み「几帳面取り」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州好みのお話しを。
遠州公が好んで作った道具には瀟洒で繊細な
形のものが多いですが、その印象を形作る
ものの一つに「几帳面取り」があります。
「几帳面」とは
器具の細工で、角をとって半円形のきざみをいれたもの。
几帳の柱に使ったことからいう。(「角川国語辞典」)
方形の角を撫で角に削り、その両側に段をつけたもの。
もと几帳の柱に多く用いたから。(「広辞苑」)
几帳面の言葉もここから由来するものですが、
遠州公の好んだ道具、特に炉用の棚などに
はこの「几帳面取り」の細工が多く見られます。
指で触らないとわからないくらいの繊細なものですが、
これを施すことによって、丸みがでて優しい
印象になるのです。
遠州好みの棚を見る機会がありましたら
柱を是非じっくりご覧になってみてください。
11月 26日 遠州流の柄杓
ご機嫌よろしゅうございます。
炉を開いてそろそろ一ヶ月。
お茶のお稽古をなさる方は、風炉のお点法から
炉の点法にようやくなれた頃でしょうか。
炉の季節になると、釜や水指、色々なものが
風炉に比べてやや大振りになります。
柄杓は・・・
遠州流の柄杓は他のお流儀で使用されているもの
より、大きく、一杯でおよそ5人分の濃茶を
点てることができます。
そしてお茶を練っている途中
その加減をみてお湯を加えるお流儀もありますが
遠州流では、お茶の香りをなるべく損なわない
ようにするため、加え柄杓をしないのです。