8月19日(水)遠州流茶道の点法

2015-8-19 UP

8月19日(水)遠州流茶道の点法
「長板(ながいた)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は長板をご紹介します。

長板は台子の天板を略して皆具
(風炉釜・水指・杓立・建水・蓋置)
などをのせる長方形の板のことを指します。

遠州流茶道では主に真塗の長板を
広間において使用します。
但し、天板が省略されているため、
名物扱い(棚に飾り付けをする等)
の点法は致しません。

正式には四ツ組(水指・杓立・建水・蓋置が
同種、主に唐銅)のもので行いますが、
大寄せの茶会などでは簡略し、風炉・蓋置
のみを飾り付けして、さらに水指・蓋置・建水
を、唐銅ではなく様々な陶器を用いることが
あります。

8月17日(月)阿波踊り(あわおどり)

2015-8-17 UP

8月17日(月)阿波踊り(あわおどり)

踊る阿呆にみる阿呆
同じ阿呆なら踊らなそんそん

の囃子で有名な阿波踊り
今年は8月12日から15日にかけて開催されました。

阿波おどり(あわおどり)は
徳島県を発祥とする盆踊りで、日本三大盆踊りの一つに
数えられます。
約400年の歴史をもつこの徳島阿波踊り
天正14年(1586年)蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が
徳島城を築いたとき、祝杯を重ねた職人や町の人々が
「めでたや・めでたや」と踊り狂ったのが始まりとする
「蜂須賀入城起源説」などありますが
起源は諸説あり、いまだはっきりしていません。

江戸から明治時代の頃にかけて、
莫大な資産を築いた阿波の藍商人が
徳島の花柳界で型破りの豪遊をし、
全国から集まる商人の接待などにも阿波踊りを用いて
阿波踊りをより洗練されたものに育て上げたといいます。

江戸後期には厳しく取り締まれれ、
踊っていた武士が咎めを受け
幽閉されたこともあったそうです。

8月 14日(金) 遠州公所縁の地を巡って

2015-8-14 UP

8月 14日(金) 遠州公所縁の地を巡って
「御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は「御香宮神社」について
ご紹介します。

御香宮神社は、遠州公の居宅であった
伏見奉行所の北側にありました。
境内から「香」の良い水が涌き出たことから
清和天皇より『』の名を賜った神社です。

遠州公が例祭に、参拝した時
「おそらくこれほど見事な椿は他にない」
とつぶやいたことで名付けられた
「おそらく椿」と呼ばれる
樹齢約400年の五色八重散椿があります。

伏見奉行所は幕末の戦火により被害を受け、
庭園も手水鉢は変色、石も表面が焼けるなどしました。
市営団地建設の際に、この遠州公が手がけた
奉行所の庭園の一部が見つかり、御香宮神社に
庭園の石を移して庭園が再現されました。
現在「遠州ゆかりの石庭」として親しまれています。

鶴亀式の枯山水で枯滝の三尊を連続させた石組、
書院手前には大きな手水鉢が配置されています。

8月 12日(水)遠州流茶道の点法

2015-8-12 UP

8月 12日(水)遠州流茶道の点法
「台子について」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は台子の歴史についてご紹介しました。

現在通常のお稽古で行う点法はこの台子点法
を草体化したものといえます。

貴人へのお点法として行われ、
現在では神仏などへ献茶を行う際などに
この台子を用いて点法をします。
お家元は息がお茶にかからないよう
「へだて」をし、最も式正な形で献茶を行っています。
神社仏閣での献茶式や、遠州忌、許状式で
その点法を拝見したことがある方も多いでしょう。

遠州流茶道でも通常のお点法とは別に
台子特別稽古で、通常のお稽古で習った
薄茶から唐物の盆点までを台子で稽古します。
何年もお稽古をしていく中で、身についてしまった
くせや忘れてしまっていたことなどを
この台子の稽古を行うことで、改めて見直し
点法の乱れを直すことができます。

8月 3日(月)明日は何の日?

2015-8-3 UP

8月 3日(月)明日は何の日?

ご機嫌よろしゅうございます。
明日は8月4日、はしの日です。

1975年、割り箸組合が箸を正しく使おう
と提唱し、箸の日が制定されました。
東京、永田町の日枝神社では使用済みの箸に感謝
し、浄火にくべて供養する箸感謝祭が行われています。

中国が発祥といわれるお箸は、
飛鳥時代に日本に伝わったとされています。
正倉院にも当時使用されていた箸が
おさめられています。

さて遠州流茶道の茶事で使用する箸は、
中国の象牙の箸を模して作られた杉箸で
一尺と長いのが特徴です。

また青竹も、焼き物には中節、煮物には天節、
香物は節なしと使い分け、お客様に箸を替えて
いることが伝わります。
また料理を用意する側も、わかりやすく
間違えにくいという利点があります。

7月 31日(金) 遠州公所縁の地を巡って

2015-7-31 UP

7月 31日(金)  遠州公所縁の地を巡って
「伏見奉行屋敷」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は伏見奉行屋敷についてご紹介します。

元和九年(1623)十二月
遠州公は伏見奉行に任命されます。
以後六十九歳で亡くなるまでの二十三年の間
この職を勤めることになります。

この元和九年の七月には二十歳の家光が
三代将軍となりました。

伏見奉行となった遠州公はそれまでの
奉行屋敷が手狭で不便な場所であったため、
豊後橋詰に新しく屋敷をつくります。

この新しい奉行屋敷は、
奉行所としての機能と、奉行の居宅としての
機能を併せ持った建物でした。
また他の奉行所と異なり、特徴的なのは
数寄屋・鎖の間・小書院・小座敷など。

茶の湯で使用する目的で配された部屋が
多く配され、茶の湯が単なる趣味的なものではなく
伏見奉行としての役職に生かされ、政務と茶の湯が
深く交わってていたことが読み取れます。

この庭園は伏見城の礎石などを利用して造られた
もので、上洛した三代将軍 徳川家光を迎えたとき、
この立派な庭園に感心されたといわれています。
この庭園についてはまた来週紹介します。

7月29日(水) 遠州流茶道の点法

2015-7-29 UP

7月29日(水) 遠州流茶道の点法
「茶巾について」

ご機嫌よろしゅうございます。

普段あまり注目されることのない水屋道具の
一つに茶巾がありますが、
しかし、点法中茶碗を清める道具としては
なくてはならない存在でもあります。

利休も、ある人に道具を見たてて買って欲しいと
金一両を渡されますが、そのお金で残らず
白布を買って送りました。

清潔な茶巾さえあれば茶の湯は出来る
それこそが茶の湯の極意というわけです。

さて遠州流茶道で用いる茶巾は
古くは近江の照布と言われる麻を使用し
現代では保田織とよばれるものを使います。
目が荒くコシがあり、水切りが良いのが特徴です。

保多織は香川県の代表的な織物で
1689(元禄2)年高松藩主・松平頼重公が産業開発と
幕府への貢献のため、京都の北川伊兵衛を
招いて新しい織を開発します。
松平家は一般の使用を禁じ、製法は一子相伝の秘法と
させ保護、幕府への献上品として使われたことから、
江戸時代は上級武士にしか着用が許されませんでした。

水切れがよく、いつまでも丈夫なことから
「多年を保つ」という意味で「保多」という
名がつけられたといいます。

この奈良の「保田織」と高松の「保多織」、
たの字が異なるのですが、織り方は高松の保多織と
同じ手法で、本家の多の字を使うことを避け
奈良では多を田と当て字をしたのではないかと
思われます。もしこの違いについて詳しくご存知の方が
いらっしゃいましたら是非、教えていただければ
と思います。

この茶巾は両端のかがりが一方向のため、両面が表面として
使えます。
点法の際は両手で広げた際、
茶巾の上のかがり部分が自分の方に向くように
持って捌きます

7月 22日(水)遠州流茶道の点法

2015-7-22 UP

7月 22日(水)遠州流茶道の点法
「  大板(おおいた)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は大板についてご紹介します。

大板は台子の地板を半裁した寸法で
一尺四寸四方(約42センチ)の板です。
小板ではなく、棚物と同様と考え、
柄杓蓋置を飾ります。

暑さの厳しいこの季節は
風炉と釜が一体になっている切合せ(きりあわせ)が、
火気を外にださないため
よく用いられます。
特に盛夏の時期にはより小ぶりな切合が
用いられることがあり、
この切合せを大板にのせて使用します。

先述のとおり、柄杓蓋置は大板に飾り
水指は細めのものを使用します。
また風炉の位置が通常より体に近いため
柄杓の柄も風炉用より短い合柄杓(あいびしゃく)
を使用します。

7月 20日 (月) 鵜飼(うかい)

2015-7-20 UP

7月 20日 (月) 鵜飼(うかい)

ご機嫌よろしゅうございます。

日々続く夏の暑さの中、日本人は様々な楽しみを
見つけ、涼をとる工夫をしてきました。
今日はそんな夏の楽しみの一つ
「鵜飼」についてご紹介します。

鵜飼という漁法で捕獲する「川狩(かわがり)」は
長良川が有名ですが、古くは日本各地で行われてきました。
古来から日本の伝統漁法として守られ、
現在でも夏の風物詩として親しまれています。
夏以外は鯉や鮒などをを中心に昼間漁師が
川に入り、鵜をあやつって魚をとっていましたが
捕獲量も低く、次第に夏の夜に鵜匠が鵜を遣う
技術を楽しむ鑑賞用の遊猟となっていきました。

遠州公も、伏見奉行屋敷の傍を流れる宇治川で
鵜飼の鑑賞を楽しんだことがわかる書状が
残っています。

七月十九日付の五十嵐宗林に宛てた書状には
昨日もお会いしましたが、今日の宇治川の
鵜飼へお招きし、夕食を共にしてゆっくり
語りたい…としたためています。
この書状の宛先となる五十嵐宗林は
生没年も職業も不明な人物ですが、晩年の遠州公の
茶会記には度々登場する人物で、この鵜飼の
文を詠んでも、相当に深い親交があった
ことが伝わってきます。

7月 13日(月)お盆の由来

2015-7-13 UP

7月 13日(月)お盆の由来

ご機嫌よろしゅうございます。

お盆には7月に行う地域と8月に行う地域が
あるというお話は昨年ご紹介しました。

お盆には先祖の霊があの世から家族の元に帰ってきて、
再びあの世に帰っていく、という日本古来の祖霊信仰と
仏教が結びついた行事です。

正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といい
盂蘭盆とは、「逆さまに吊るされたような苦しみ」
という意味の仏教用語です。
この苦しみから先祖の霊を救うため
供物を備え、供養します。

このお盆にまつわるこんなお話があります。
お釈迦様の十大弟子の一人、木蓮(もくれん)
の亡くなった母が地獄に落ちて苦しんでいました。
木蓮は母を救うにはどうしたらよいか、
お釈迦様に相談し、教えを請いました。
そして7月15日に手厚い供養をし、
木蓮の母親は救われたのだそうです。

この木蓮の伝説がお盆の由来と言われています。