遠州忌茶筵

2014-3-9 UP

3月9日 遠州忌茶筵

ご機嫌よろしゅうございます。
本日3月9日は流祖遠州公を偲び
東京美術倶楽部において、
遠州忌の茶会がとり行われます。

遠州公のご命日旧暦2月6日にちなみ
新暦の3月第二週日曜日に
茶会を行います。

映画「父は家元」にもありましたが、
大床脇の厨子には流祖小堀遠州公の尊像が祀られ
お家元が遠州公に献茶をし、その後
天目茶碗にてお茶をいただきます。

お家元はじめ、門人一同
流祖遠州公に想いを馳せ、偲ぶ
ひと時です。
【告知】
映画 父は家元 【舞台挨拶】
金沢 シネモンドにて御家元舞台挨拶がございます。

3月15日(土) 2回目(17:25~)の上映前に行います。

遠州蔵帳

2014-3-8 UP

3月8日  遠州蔵帳

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「遠州蔵帳」についてお話しします。

「遠州蔵帳」は
流祖遠州公から二世宗慶、三世宗実の
小堀家三代に渡る茶道具の来歴をまとめたものです。
遠州の自作の他、所有した道具、好んだ道具を含みます。

1月3日のメールマガジンでご紹介しましたように
三世宗実公が、遠州公以来三代に渡って収集された蔵品を
整理し作成した「小堀家器財帳」が元となっています。

後代に伝わる遠州蔵帳は写本が複数あり
定本がありませんでした。
昭和13年に、明治の数寄者益田鈍翁が
もっとも信頼性の高い写本から
『遠州蔵帳図鑑』を編集しました。

今月から土曜日にこの「遠州蔵帳」所載の
お道具についてご紹介していきたいと思います。

【告知】

大ヒットにつき映画 父は家元 池袋にて凱旋上映決定!!

4月12日(土)~25日(金)

東京会場:シネ・リーブル池袋

http://www.ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/

東京都豊島区西池袋1-11-1 池袋ルミネ8階(池袋駅すぐ側)

電話03-3590-2126 ※上映時間は未定。(劇場にご確認ください)

【埼玉会場】

4月12日(土)~18日(金)

所沢:新所沢レッツシネパーク   http://www.ttcg.jp/lets_tokorozawa/

埼玉県所沢市緑町1-2-1新所沢PARCO+Let’sLet’s館4階

電話04-2998-8000 ※上映時間は未定。(劇場にご確認ください)

 

映画 父は家元 公式ホームページ

綺麗さび

2014-3-7 UP

3月 7日   「綺麗さび」について

織理屈(おりりくつ)
綺麗キッパは遠江(とおとうみ)
お姫宗和に ムサシ宗旦

これは江戸時代の茶書に書かれた歌です。

古田織部の茶の湯は理屈っぽい
遠州の好みは切れ味のよい刃物
のようにきっぱりしている
お姫様風の華奢好みは金森宗和
わび茶に徹しているのは千宗旦

というような意味あいです。

綺麗というのは洗練され、垢抜けた美しさを
表す当時の褒め言葉であったようです。

遠州公が活躍した寛永時代は、
戦乱の世から平和な時代への過渡期であり、
生活も豊かになり、様々な事物が整備されていきます。

大きな変化を迎えたこの寛永の時代の美意識を反映して
遠州公は新たな茶の湯の形を創造していきます。

国内外に発注された茶道具には
面取り、瓢箪、前押せなどいくつかの特徴があります。
これらの好みの形については
また後日お話ししたいと思います。

【告知】
明日から金沢のシネモンドにて
映画 父は家元が上映されます。
上映時間
8日~14日
(1)10:15~(2)15:30~
15日~20日
(1)10:15~(2)17:35~
21日
(1)18:00~

映画 父は家元 公式ホームページ

官兵衛

2014-2-23 UP

2月23日  官兵衛  茶の湯政道

ご機嫌よろしゅうございます。
本日大河ドラマ「軍師官兵衛」です。

桶狭間の戦いで今川義元を破った織田信長は美濃を滅ぼし、
永禄十一年(1568年)足利義昭を奉じて上洛しました。
三好三人衆を追い払って義昭を15代将軍の座に付け
政治の実権を握った信長は、名物茶道具の召し上げ
「名物狩り」を行います。

そして茶道具を、武功を立てた武将に分け与え
知行の代わりの褒賞としたのです。
土地には限りがあるので、茶道具に土地と
同様の価値を与えたところが信長の斬新さです。

また茶の湯を許可制にすることに
よって茶の湯を武将のステイタスにしたてあげ、
政治に利用していきます。

信長の武将たちは城一国よりも茶道具を望んだほどで
有名なのは滝川一益です。
彼はのちに、東地方の信長軍総大将となる出世を
しますが、領地より望んでいた小茄子をもらえず、
手紙のなかで「茶の湯の冥加は尽き候」
となげいています。

【告知】

2月15日に御家元がご出演なさった

福岡ラジオ
『めさーじゅブランチ 』の
放送内容が以下のURLでお聞きになれます。
http://contents.nasse.com/fuku_special/brunch/files/20140215/weekend03.php

映画 父は家元 公式ホームページ

雪の日には紅梅一輪

2014-2-13 UP

2月13日 「雪の日には紅梅一輪」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は梅にちなんだお話をご紹介します。

遠州の「綺麗さび」と利休の「侘び」
この違いをよく表すエピソードがあります。

ある雪の日、利休がお茶室にお客様を招きますが
その席の床の間には
掛物も花も何も飾ってありませんでした。
利休は
「雪も花である。 雪の日に花は要らぬ」
と話しました。

一方、遠州は
「雪の日には紅梅一輪」
と言っています。

利休の求めるのは
自然の中に見出す厳しさも含んだ美しさ

それと対照的に
雪の路地を抜け、席中に入ってうつる紅梅の色に
ほっと温もりを感じてほしいという
遠州の美意識

それぞれの生きた時代が
その精神性に反映されて生まれた
美しさです。

【告知】
映画 父は家元 上映案内
・テアトル新宿     21日まで
・横浜ニューテアトル 14日まで
・福岡中州大洋    21日まで
・金沢シネモンド    3月8日~21日
・名古屋 伏見ミリオン 4月5日~18日
・青森 シネマ・ディクト 4月19日~5月2日

映画 父は家元 公式ホームページ

遠州公ご命日

2014-2-6 UP

2月6日  遠州公ご命日

本日は流祖小堀遠州公のご命日です。

毎年この祥月命日の2月6日には
ご家族揃って京都の大徳寺孤篷庵へ
お墓参りにいかれます。

本堂において法要を営み、
その後遠州公のお墓参りをされ
お墓参りが済むと
茶室「忘筌(ぼうせん)」において、ご住職と一緒に
お抹茶をいただきます。

孤篷庵は
1612年、大徳寺塔頭・龍光院内に、
遠州公が自らの菩提所として建立します。
この龍光院は、黒田長政が父・如水(黒田官兵衛)
の菩提寺として建立した寺です。

1643年、孤篷庵を龍光院から
現在の場所(瑞源院隣地)に移転しています。
最晩年の2年ほどはこちらにいたといわれます。

1647年、2月6日に伏見奉行屋敷で亡くなり、
ここ孤篷庵に葬られました。

 

【告知】

2月8日 長浜の慶雲館にて盆梅展がございます。

その際御家元の命名式が予定されております。

官兵衛

2014-1-19 UP

1月19日 官兵衛

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」
本日3話目放送です。

黒田家は遠州公ともゆかりの深い家です。

官兵衛は1546年(天文15年)に生まれます。

遠州公が生まれる1579年(天正七年)には
官兵衛34歳。

前年に起こった主君小寺政職 荒木村重の離反を受けて
説得に赴き、有岡城に幽閉されていました。
落城の際、家臣に救出されます。
1年間の幽閉生活で足が曲がり
体は痩せ細りながらも節を守った官兵衛に
秀吉は涙を流したといいます。
その後織田家家臣として仕え、羽柴秀吉の与力となり
以後、 軍師として秀吉に仕えていきます。

【告知】

 

 

【告知】
遠州流茶道ドキュメンタリー映画「父は家元」
上映時間のお知らせ。

1/25~1/31
テアトル新宿
10:50~
12:50~
19:00~
の三回。

2月以降は未定です。
皆様のお誘い合わせのうえ劇場まで是非
足をお運びくださいませ!

また、映画 父は家元の情報も
遠州流茶道Facebookページ
にて随時更新して行く予定です。
是非
【いいね!】
をお願いします。
遠州流茶道Facebookページ
http://www.facebook.com/enshuryu

映画 父は家元   公式ホームページ

近衛信尋

2013-10-11 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

遠州の交友はとにかく広い。

将軍や大名だけでなく、商人や医者などの町人たちとも交流があった。

そしてさらには公家、なかでも寛永のルネサンスのリーダーの一人、近衛信尋と懇意にしていた。

慶安2年10月11日は、近衛信尋の命日である。

信尋の父、信伊は寛永の三筆(他は本阿弥光悦・松花堂昭乗)の一人に数えられ、薩摩に流されたりと、波乱に富んだ一生を送っているが、豪放な書風で知られている。

その養子信尋は、実は後水尾天皇の弟であり、二人の兄弟愛は、天皇と大臣という間柄を越えて信頼し合っていた。

もちろん、能筆家としての名も高かった。

こんな書状が残っている。

当時の公家の若君たちは、平和な世に浮かれ、暴れていて、幕府はそんな若君たちを、いつでも取り締まってやる、と眼を光らせていた。

その時も、大宴会が開かれ、それが幕府の知るところとなった。

21歳の信尋は、これが知られては大変と青ざめ、藤堂高虎に弁解の手紙を送っている。

その中で、遠州が登場する。

宴会の最中には、遠州が様子を見に来て、心を配って頂いた、という内容である。

遠州は公家と武家の仲が円滑にいくべく、行動していたのではないだろうか。

その他の信尋の書状にも遠州は登場し、また、遠州の茶会記にも信尋は登場する。

信尋と遠州が利休について会話したことも、『桜山一有筆記』に記録されている。

それはまたいずれ。

数寄者とは

2013-10-9 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

今から34年前の月刊『遠州 10月号』の、先代紅心宗匠が『数寄者とは』、と題して、前田利常公と、小堀遠州の茶の湯問答のことについて書いています。

本日は「数寄者」について、少しひも解いてみたいと思います。

茶湯問答の書状は利常公が「茶湯根本は何と仕たる所を数寄者と申候哉」と、遠州に御尋ねしているとこから始まります。

それに対し、紅心宗匠は遠州が

「目に見、耳に聞き、事にあたる時、自我が実態として存在すると考えて、それにとらわれ、自己主張に溺れる人が多い。全てを知り、全てを忘れてしまい、それらの執着心を捨て去る事が出来たならば、真の数寄者という事ができるのであろう」

と答えている、と意訳しています。

そして後日、遠州は前田邸へ単身出向き、「放下着(ほうげじゃく)」の話を交えながら、茶湯根本について話をしました。

この「放下着」とは、何もかもを脱ぎ去った境地のことを言います。

この「着」は「~せよ」の命令形の助辞で、「放下せよ、全てを捨てよ」という意味であり、これこそが茶湯の根本のひとつであると遠州は利常公に返事をしたのです。

紅心宗匠は最後に、「真の数寄者となる事は誠に困難な事であるが、日々の修練に依り、一歩でも遠州の心に近づきたいものである」と記して、筆を置いている。

 

「初昔」

2013-10-6 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

本日は、その年の新茶がふるまわれる炉開きが近づいてきましたので、お抹茶のお話をひとつ。

現代では、各宗匠のお好みのお抹茶に、銘が付いていることは当たり前となっておりますが、その銘を最初に付けた人物が遠州であることをご存知でしょうか。

「初昔」

これがお抹茶の最初の銘となりました。

なぜ、初昔というのか。
それは、お抹茶の製法を、古田織部以前に戻したことから、と言われています。
では織部がどのような製法だったのか、といますと、彼は茶の葉を茹でていたのです。

現在もそうですが、織部以前は、茶を茹でないで、蒸していました。
それは、蒸せばお茶は白っぽくなりますが、香りがとても良くなるからです。

しかし織部は香りよりも、「色」を重視しました。
そのため、青々しい色の出る、「お茶を蒸す」という方法で、お抹茶を(正確に言えば「碾茶(てんちゃ)」)を製法したのです。

しかしさらに、遠州は織部の弟子でありましたが、この製法を昔に戻しました。
そのため、「最初の昔にもどした」ことから、「初昔」という名が生まれたと言われています。

ちなみに、「~の白」という名も、この「青茶」に対して「白茶」である、ということから付けられた名前です。
このようなことからも、今日でもこの遠州の創意が受け継がれていることを見ることができます。