遠州青年の日

2014-6-28 UP

6月 28日 遠州青年の日

ご機嫌よろしゅうございます。

慶長十二年(1607)6月28日は遠州公が29歳の時に
参禅の師である円鑑国師(春屋宗園)
の頂相(ちんぞう)に賛をいただいた日です。

頂相は師または高僧の肖像画を描いたもののことです。
禅宗においては非常に重要視されていました。

この頂相、絵はまだ書かれておらず、円鑑国師は白紙の状態で
先に賛を書いたことになります。

当時は絵を描く前に賛を書いたり、
生きているうちから自分の姿を描かせる寿像というものが
ありました。(詳しくは「小堀遠州の書状」江月宛 鉄鉋の文を参照)→鉄の後の字が変換できませんでした。

この6月28日を遠州青年の日として、
門人が改めて遠州流を学ぶ日とするため
設けられました。

お点法を復習したり、
歴史や道具について調べて見たり
今日はじっくり茶の湯に向き合ってみてはいかがでしょうか?

豆腐のように、、、

2014-6-27 UP

6月 27日 豆腐のように…

ご機嫌よろしゅうございます。
長い梅雨もあと少し、本格的な夏の到来が近づいてきました。
豆腐も冷奴が美味しい時期になりますね。

今日は3月23日に「懐石と菓子」というテーマで行われた
公開討論会において、お家元がお話しくださった
豆腐の話をご紹介します。

松平不昧の歌に

世の中は丸で四角で三角で
豆腐のように飽きられもせず

という歌があります。
なるほど豆腐という食材は形を様々に変え、
また冬には湯豆腐、夏には冷やして
常に人々に愛される食材です。
こんな豆腐のようにどんな状況にも順応し
ていける人間になりたいものです。

さて、豆腐にはよく、紅葉の型抜きにした人参が添えられている
のを目にするのではないかと思います。

この不昧公の歌にも、豆腐に添えられた
紅葉の人参が描かれた絵があります。
この紅葉には実は意味があるそうで、

・豆腐にこうよう(紅葉→効用)がある
ということ、また
・よくこうよう(買うよう)に
というかけ言葉になっているのだそうです。

彩りというだけではなく
紅葉の人参にこんな意味がこめられていたのですね。

遠州公の会席

2014-6-20 UP

6月 20日 遠州公の会席

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は遠州公が会席で使用した「角切らず」の縁高について。

私達がよく目にする縁高は、
木地に漆をかけた、いわゆる塗り物が
ほとんどではないかと思います。

遠州公の時代、
木地のままの器が会席でよく使用されました。
漆をかけていないので、当然器に盛った食べ物
の汁などで染みができてしまいます。
そのお客様のためだけの、一度きりのもの
という意味で、使い回しのきかない
木地の器は、当時塗りものよりも正式なものでした。

遠州公の会記には
「木地 縁高 角不切(すみきらず)」と書かれており
一枚のへぎ板( 鉈を使わず手で割いた板)
で切らずに作った大変手間のかかる器を使用しています。

いい塩梅(あんばい)

2014-6-18 UP

6月 18日 いい塩梅(あんばい)

ご機嫌よろしゅうございます。

梅雨の季節は梅のなる頃というお話を
昨日いたしました。

梅といえば
「いい塩梅」という言葉がありますが、
これはお塩とお酢のことです。
塩は人体に不可欠なもの
また食酢が普及する以前は、梅の塩漬けで出来る
梅酢が利用されました。
ここから味加減のことを「塩梅」という言葉が生まれます。
この塩と酢が日本の調味料の原型です。

これに後々醤油やひしおが加わっていきます。
古来、上流階級の料理は、食事とともに調味料が出され
食べる本人が味をつけて食べるスタイルでした。
それが茶の湯において限られた空間の中、
食事をいただくようになってはじめて
(調味料を出せないため)予め味付けをしてお出しする、
現在に通じる調理法と
なったのです。

現在月刊「遠州」に掲載中の宗有公の「数寄記録」
において12ヶ月の献立が記されていますが、ここで

「夫(それ) 会席の献立 趣向 塩梅は
浜の真砂にて 何ぞ極まらむ」

と書かれています。

2014-6-17 UP

6月 17日 梅

ご機嫌よろしゅうございます。

うっとおしい梅雨が続きますが、
「梅雨」の語源は、梅の実が熟す季節に降る雨
といわれています。

初春に美しい花を咲かせていた梅は、
この時期、丸くて青い実をつけます。

梅酒につけるには青くてかたい実を
梅干しは完熟のものが適しています。

梅干しは平安時代には既にあったようで
当時は、熱さましなどの薬用として食されていました。

戦国時代、武将達は
食糧袋に「梅干丸(うめぼしがん)」
を常に携帯していたそうです。戦場で倒れたときや元気を失った
時、 また合戦中の休息に梅干しを見て唾液分泌を盛んにし
脱水症状を防ぐ目的にも使われました。
梅干しは戦略物資の一つとなり、
武将たちは梅の植林を奨励したそうです。
現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っています

和菓子の日

2014-6-16 UP

6月16日 和菓子の日

ごきげんよろしゅうございます。
今日6月16日は「和菓子の日」です。

848年(承和15年・嘉祥元年)の夏
豊後の国(大分県)が献上した白い亀を吉兆として
元号を「嘉祥」と改めます。この改元を祝い、
仁明天皇が6月16日に16の数にちなんだ菓子や
餅などを神前に供え、疫病除けや健康招福を
祈願した故事から、昭和五十四年(1979)に
全国和菓子協会によって制定された記念日です。

この慣わしが、様々に形を変え、
健康招福を願う行事が明治時代まで盛んに行われてきました。

江戸時代には嘉祥は重要な儀式と位置付けられ、
江戸城の大広間に約2万個の菓子が並べられ、
将軍自ら大名などに手渡すという儀式があったそうです。
しかし将軍が手ずから菓子を与えるのは最初だけで、
以後は途中で奥へ退出してしまい、大名・旗本は自ら菓子を
とっていきました。
2代将軍秀忠までは、将軍自ら菓子を与えたので
数日肩が痛かったとか。(「虎屋文庫」)

会席と懐石

2014-6-13 UP

6月 13日 会席と懐石

ご機嫌よろしゅうございます。
きょうは「かいせき」のお話を。

「懐石」と「会席」
同じく「かいせき」と読みますが、
この違いご存知でしょうか?
三月に行われました、「懐石と菓子」を主題とした
公開討論会で、冒頭お家元が解説してくださいました。

茶事で使われてきた漢字は本来「会席」のほうでした。
「懐石」の字が現れるのは元禄三年(1690)
利休没後百年に立花実山が書いたとされる「南坊録」から

「懐石」には 修行僧が、温めた石(温石)を腹に当てることで
空腹をしのいでいたことから懐の石という字が当てられており、
華美に走る傾向にあった当時の茶の湯に警鐘を鳴らす意味で
実山はこの字を当てたと考えられます。

酒井宗雅や松平不昧、井伊直弼などの大名、石州系ではこの
「懐石」の字をよく使っていたようで
一般的に使われるようになるのは明治頃からです。

遠州公の時代より古くから記録に残るのは「会席」
の方で、遠州流ではこれに習い、「会席」の字を用います。

普段私達が料亭で目にする「懐石」のお料理は
とても、修行僧の禅の精神からくる言葉とは結びつかない
豪華さで、語源を聞くといささか違和感を覚えます。

時の記念日

2014-6-10 UP

6月10日 時の記念日

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は6月10日、時の記念日です。

671年(天智天皇十年)に、天智天皇が
唐から伝えられたという漏刻(水時計)で、
「時の奏」(太鼓や鐘を打って時を知らせる)を行い
宮中に時がつげられるようになった日が、
太陽暦に直すと6月10日だったという故事によるものです。

この時代に水時計の管理をしていたのは
陰陽寮の漏刻博士で、二人交替で水量を確認し、
鐘や太鼓で時報を鳴らしたそうです。

この記念日は大正九年(1920)、生活改善同盟の発意で
時間を尊重・厳守し、生活の改善・合理化などを
進めることを目的として定められました。

ちなみに時報のサービスは、
1955年(昭和30年)6月10日の
「時の記念日」より開始されました。

川越献茶式

2014-6-7 UP

6月7日 川越献茶式

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は埼玉・川越にてお家元の献茶式が行われます。

また6月15日には、恒例となりました「茶あそび彩茶会」にて
妖怪茶会・甲冑をつけての茶会などユニークな茶会も
催されています。

川越は、関東最古の茶の産地です。
平安時代には既にこの地に伝わり
鎌倉時代には明恵上人が河越の地に茶を栽植したとされ、
鎌倉末期から室町時代に虎関師錬が著した「異制庭訓往来」
に全国の茶の産地の一つとして「武蔵河越の茶」
と記載されています。

江戸時代初期の川越城主だった酒井忠勝や堀田正盛、松平信綱は
遠州公との交流を通して、川越藩の茶業を活発にしていきます。
それ故川越藩と遠州流の関わりは大変深く、
市内の喜多院や蓮馨寺には遠州流の庭園が残されています。

献茶式にお越しの際は是非足をのばして
ご覧ください。

2014-6-4 UP

6月 4日 鮎(あゆ)

ご機嫌よろしゅうございます。

この時期の旬の食材といえば
6月1日に釣りが解禁される鮎が思い浮かびます。

11月から5月は資源保護のため禁漁となっており
釣り人が待ちにまった鮎釣り解禁日に
釣り糸を垂らす姿は、この季節の風物詩でもあります。

鮎は一年で一生を終える一年魚で、
別名を「香魚」と言うように、独特の芳香を持つ鮎は、
水質が良い河川ではスイカの香り、水質が悪い場合は
キュウリの香りに変わるといわれています。

春先に海から川へ上りますが、
琵琶湖の鮎は琵琶湖を海の代わりとして生息し、
海水で生きることが出来ない性質に変化しているのだそうです。

塩焼きにして蓼酢(たです)でいただくのが
シンプルで一番美味しい鮎の頂き方です。