8月8日 遠州公と抹茶
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はお抹茶のお話を。
抹茶の銘には「~の昔」「~の白」という名前が
よくつけられているのをご存知でしょうか?
遠州公の師匠である古田織部は、
抹茶の色をヨモギ餅の緑色(青)を見てより鮮やかな色にしようと
抹茶を作る際、茶葉を少し茹でることにしました。
これを「青茶」などと呼びます。
こうすることで見た目は綺麗な緑になるのですが、
香りがなくなり味が多少落ちてしまいます。
そこで遠州公は茹でない以前の製法に戻しました。
この製法で出来た抹茶は「青茶」に比べて白っぽいため
「白茶」と呼ばれました。
現在抹茶として製造されているものはこの「白茶」で
昔の製法に戻ったことから「~の昔」「~の白」
という銘がつけられることが多いというわけです
8月 7日立秋(りっしゅう)
秋きぬと目にはさやかにみえねども
風の音にぞおどろかれぬる
ご機嫌よろしゅうございます。
まだまだ暑さ真っ盛りですが、
暦の上では今日が立秋、秋になります。
先ほどの歌は古今集の秋歌上のはじめに
おかれている藤原敏之の歌です。
詞書には「秋立つ日によめる」とあるように
立秋の日の歌で
秋になった兆しは、まだ目に見えないけれども、
風の音の中にその気配を感じて驚いた
という意味の歌。
当時の人も、立秋の日に同じように感じていたのですね。
立春からちょうど半年が経過したことになり
この立秋から立冬の前日までが秋となります。
暑中見舞いも立秋を境に残暑見舞いに。
暑い夏もあと少しと思って名残を惜しみたいですね。
8月2日 ねぶた
ご機嫌よろしゅうございます。
この時期、青森では有名な「ねぶた祭り」が
行われます。
このねぶたの由来は諸説あるようで
もともとは酷暑でたまった疲れや眠けを、
秋の農繁期の前に水に流そうという
「眠り流し」の行事だとされています。
これに七夕祭りの灯籠流し、送り火の要素が加わって
現在の形につながったようです。
歴史上の人物をかたどった巨大な張り子の
中に灯りをともし、笛や太鼓の音と共に練り歩く
姿は迫力満点です。
賑やかな練り歩きと張り子の灯りも、もとは眠けを
飛ばすためのもの。
その狙い通り、夜の静けさを吹き飛ばす人々の熱気が
今年も祭りを包みます。
ねぷた(弘前)についてはまた改めてお話したいと思います。
7月30日 つりしのぶ
ご機嫌よろしゅうございます。
皆さんは「つりしのぶ」をご存知でしょうか?
釣りしのぶは、山苔を巻きつけた上に
シノブと呼ばれる根茎を巻き付けて、
さまざまな形に仕立てたもので、
これを軒先に吊るして、眺めることで涼をとります。
シノブは山地に育つシダで、乾燥にも強く、
水がなくても「耐え忍ぶ」という意味から
シノブという名がついたとされています。
このつりしのぶは、江戸の中期に
庭師がお得意様へのお中元用に作り始めたもので
江戸の手狭な長屋などでも気軽に楽しめるので
庶民に人気がでて
明治から昭和初期にかけて一般にも広まりました。
7月 28日 桔梗(ききょう)
ご機嫌よろしゅうございます。
風炉の茶花として重宝される花の一つに
桔梗があります。
桔梗ですが
そもそもは発汗剤、咳止めなどの漢方薬として渡来し
たもので、日本では全国の山野に自生し
ていて、大変馴染みのある花です。
戦国時代には紋所や旗印として多く用いられました。
桔梗の字が「更に吉」の組み合わせで縁起がいいということも
理由の一つのようです。
明智光秀は「水色桔梗」
江戸城を築いた太田道灌は「太田桔梗」
坂本龍馬は「組み合い角に桔梗」
の家紋が使われています。
7月 27日高山右近(たかやまうこん)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は利休七哲にも数えられる高山右近について
荒木村重とともに籠城の構えをとった
高山右近はキリシタンを弾圧との信長の脅迫に,
人質として妹と息子を差し出している村重と
キリシタンへの迫害との狭間で悩みます。
最終的には、城や家族を捨て身一つとなり信長に降伏。
右近の降伏により形勢が信長有利となったため
高く評価され加増されました。
官兵衛をはじめ、牧村政治・小西行長・大谷吉継・蒲生氏郷など
多くの武将が影響を受けてキリシタンとなります。
信仰と茶の湯に熱心で、秀吉の世となって
禁教後、家康の時代に国外追放となるまで
前田家の加賀藩に住み、茶所としての金沢の発展に貢献しました。
7月 26日 花火(はなび)
ご機嫌よろしゅうございます。
夏の花といえば
朝顔、槿、いろいろありますが
夜空に咲く花火も、やはり夏の花。
ほんの数秒の短い命ながら
その夜空に光る美しさと
どーんというお腹の底に響く音
暗闇に漂う火薬の匂い
私たちの五感に響くその美しさは
時を経て現代の今も日本人に親しまれててきました。
特に東京・隅田川の花火は、毎年多くの見物客で賑わいますが
もとは死者を弔うための火であったことをご存知でしょうか?
飢餓や疫病が流行した江戸時代
時の将軍であった徳川吉宗が犠牲者の慰霊と悪霊退散のため
隅田川で水神祭を開き、この時両国橋周辺の
料理屋さんが上げた花火が隅田川の花火の由来
といわれています。
7月 25日 遠州公と朝顔
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州公と朝顔にまつわるお話を
ご紹介します。
遠州公は手付きの籠に
朝顔の蔓を巻きつかせたまま床飾りにした
「竜の舞」という銘のついた花の記録があります。
切り花にしては、このようないけ方は大変困難ですが
ご先代は花の古書をもとに、この飾りは
朝顔の鉢ごと花籠に入れ育て、
手の部分に自然と巻きつかせた
ものであろうと推察されています。
朝顔のような蔓のあるものをいける場合は、
天体は左回りであることを受けて、
右めぐりのものを主に使うとされています。
利休時代にはまだ珍しい花だった朝顔は
遠州公の時代になってもなお珍花として貴重な
花でした。
また松花堂昭乗が朝顔の絵を
遠州公と江月和尚が賛を書いた合筆が大阪の湯木美術館に収蔵されています。
7月24日 河童忌(かっぱき)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は芥川龍之介をご紹介します。
芥川の家は母方の実家で、龍之介は生まれて間も無く
母の発病により、この家に預けられます。
芥川家は代々江戸城の御数寄屋坊主
といわれる茶道全般を取り仕切る役を勤めていた由緒ある家柄でした。
そのため、茶道のみならず文化芸術への造詣も深く
龍之介の文学の道に大きく影響したと考えられます。
「羅生門」「鼻」など多くの傑作を残し、
後年には河童を好み、小説「河童」や絵をよく描いていたことから
命日を「河童忌」とされたといわれています。
35歳という若さで自ら命を断ち、菩提寺である
巣鴨の慈眼寺に葬られました。
境内にある龍之介の墓は、本人の遺言によって、
愛用していた座布団と同じ形と寸法で
作られた墓石なのだそうです。
今日7月24日は芥川龍之介の命日です
7月 23日 大暑
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の大暑にあたります。
快晴が続き、気温が上がり続けるころ。
一年で最も暑い時期とされ、
大寒のちょうど半年後にあたります。
『暦便覧』には
「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」
と記されています。
近年では温暖化などの環境問題を考える取り組みとして
この大暑の日に、全国で打ち水をするというイベントも行われています。
同日同時刻に、全国の参加者が一斉に打ち水をすることで、
気温を2度さげようというものだそうです。