5月 24日 遠州公の愛した茶入
「玉柏(たまがしわ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入
「玉柏(たまかしわ)」を
ご紹介します。
「玉柏」は
奈良屋弥兵衛が、摂津国の難波の浦で
見出したことから、遠州公が千載和歌集の恋歌
ちなんで命銘されました。
難波江の藻にうづもるる玉柏
あらわれてだに人をこはばや
難波江の藻に埋もれている石が水面にあらわれるように、
せめて思いをあらわして人を恋いたいなあ。
玉がしわは玉堅磐、海中の岩のことで
井伊直弼の『閑窓茶話』には「玉柏といふ茶入は、
黒きなだれの薬どまりに大なる石はぜあり、
因て遠州玉柏と名づけらる、玉柏は石の異名なり」とあります。
遠州公の茶会では
寛永十九年(1642)を最初に三回ほど使用されています
遠州好みの面取がもっともよく表れたものでその形状から小堀遠州が命銘したと思われます。高取焼きは遠州公指導の窯の一つで遠州高取とも呼ばれます。
この茶入は、その遠州高取の絶頂期である白旗山窯(寛永七年・1630)のときに作られたものとされています。遠州公の茶会記に高取焼茶入が初めて登場するのが寛永五年(1628)4月23日で、同じ年に6回、寛永十年(1633)に1回、寛永十九年(1642)に2回、合わせて約九回使用したことが確認できます。
このうちこの下面が使用されたと考えられるのは寛永十年以降と思われます。遠州公以来小堀家歴代に伝わる茶入です。
遠州公の代表的な好みの一つが「面取(めんとり」です。きっぱりと面を取ったシャープなラインが特徴で今の時代にみてもモダンにうつります
この特徴は特に茶入と茶碗に多いものです。茶入には高取「下面」があります。寛永の始め頃、九州高取の白旗山に窯を築かせそこでできたものです。茶碗で有名なものには三井文庫蔵の遠州書付「面」があります。
もともとこの面取りという意匠は瀬戸の茶入真中古窯(瀬戸の茶入の分類名)にあるもので遠州公の好みとするものとして、中興名物にも選ばれています。他に薩摩焼やオランダで焼かれた茶碗にも下面の意匠を用いています。また茶碗茶入以外にも釜や薄茶器、水指などに面取が見られます。
爽やかな初夏に白い卯の花が美しく咲き、新緑にうつるその白さは、私たちの目に眩しく映ります。卯の花は空木(うつぎ)の別名です。
今日はそんな卯の花を銘にもつ
茶碗をご紹介します。
日本で焼かれた茶碗で国宝に指定されているのは、二碗のみで、そのうちの一つがこの「卯の花墻」です(もう一碗は本阿弥光悦作・銘「不二山」)。室町三井家から寄贈され、現在東京の三井記念美術館に所蔵されています。16世紀後半、桃山時代に作られた志野茶碗です。志野とは、美濃(現在の岐阜県)の窯で焼かれ桃山時代を代表する窯場のひとつで、織部焼もここで作られています。少し歪んだなりをしていて、篦削りも大胆なこの茶碗は織部好みに通じる作行きです。夏に白い花を咲かせる卯の花の垣根に似ていることからこの銘がつけられました。遠州公の後、徳川将軍の茶道師範となった片桐石州による銘とされています。
4月28日 遅桜(おそざくら)
ご機嫌よろしゅうございます。
東京では桜の見頃もいよいよ終わりを迎える頃かと思います。
今日は桜の名を銘に持つ
大名物「遅桜」についてご紹介致します。
以前にご紹介した初花の茶入はすでに
世上第一として広くその名を世にとどろかせていましたが、
その後に新たに見出されたのがこの茶入れでありました。
そこで
夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな
という金葉集の歌に因んで
足利義政が銘をつけたとされています。
初花より景色の暗い釉薬で、華美でないところが
かえって品位の良さを感じます。
この茶入は徳川家の所蔵、柳営御物となり
後に三井家に伝わります。
過日、東京都目黒美術館で行われた御先代の
「紅心 小堀宗慶の世界」展にて
この遅桜と初花を隣り合わせとして展示されたことは
大変珍しいことで、後にも先にも
このときばかりかもしれません。
ご覧になれた方、大変な幸運でした。
4月 26日 遠州公の愛した茶入「藤波(ふじなみ)」
ご機嫌よろしゅうございます。
本日は遠州蔵帳所載の茶入「藤浪」
をご紹介します。
この茶入の釉薬のかかった景色が
藤の花の垂れ下がるようすに見られることから
新古今集 春歌の
かくてこそ みまくほしけれ 万代(よろずよ)を
かけて忍べる 藤波の花
の歌から命銘したといわれています。
箱の裏には遠州公がこの歌をしたためた小色紙が
貼り付けられています。
挽家(ひきや)とよばれる茶入の入れ物に施された意匠は、
紫檀(したん)に藤の花が咲く模様を全面に彫り、
沈金を施していて大変珍しいものです。
藤の花は二季草(ふたきぐさ)の名もあるように
春から夏へ、ふたつの季節にまたがって咲き
和歌でも古今集等、春・夏の部ともにその名が見られる花です。
遠州好みの形である前押は、茶碗や水指などの道具に見られる意匠です。正面に手で押したわずかなへこみを作りアクセントとしています。ここが正面ですよとお客様にわかっていただけるようにとの心配りからついています。
遠州流では濃茶の後、数名のお客様に次々と薄茶を点てる場合に重ね茶碗というものを使用します。同じ出生(窯)のもので、天目型の成りに正面をわずかにへこませた前押の形のものを大小重ねて使用する茶碗です。
遠州公は当初三島茶碗などの平茶碗をお客様の人数分重ねて点法したようですが、それを国焼きに改めて考案しました。切形(きりがた)と呼ばれる型紙をもとに遠州公の作為による前押茶碗を、八世宗中公が作らせた高取の重ね茶碗も今に伝わっています。この重茶碗というお点法は、遠州流特有のお点法です。
春慶とは、瀬戸窯の初代である加藤四郎左衛門 (藤四郎)が、晩年に春慶と称してから作ったものであると言われてる 茶入れの一群です。この茶入は形そのままに、遠州公が命銘したものです。遠州好みである瓢箪の形から名付けられました。お茶会ではおよそ七回使用されていて、第一回を除いて いづれもお正月に使われています。瓢箪という形は縁起の良い形です。 また遠州公が好んだ意匠でもあり、 遠州公が関係する様々なところで、この瓢箪の形を目にします。
遠州公の好んだ形「瓢箪」について。薩摩の窯に注文して焼かせた「甫十瓢箪」と呼ばれる茶入をはじめ遠州公は瓢箪の形をとても好みました。これは禅の教えとも関係があります。水に浮かべた瓢箪は上から押すと、一度は沈みますが、手を離すと別の場所にぽこっと浮かんできます。
「至りたる人の心は
そっとも(少しも)ものにとどまらぬことなり
水の上の瓢を押すがごときなり」
相手の心に逆らうのではなく、素直に意に従いしかも自分の心というものは決してまげないという「瓢箪の教え」からくるもののようです。茶道具の他に、文様や透かしにも瓢箪を多く用いています。
遠州公は数多くの国焼きを指導をしています。薩摩焼でも遠州公がお好みになられ作らせた十個の茶入を遠州公の号の宗甫と、数の十にちなんで「甫十」と呼んでいます。いずれも茶入の底に「甫十」の彫銘があり瓢箪形の耳付小茶入とされています。この茶入の胴部分二方が耳を示しています。新古今和歌集 春歌である
つくづくと 春のながめの 寂しさは
しのぶにつたふ 軒の玉水
から名付けられました。