2世 小堀宗慶

2世 小堀宗慶
2世 小 堀 宗 慶

政俊 正之 備中守 大膳 号・喜逢 宗慶 延宝2年8月24日(55才)

元和6年(1620)、父遠州42歳の時、藤堂高虎養女を母として、伏見奉行屋敷内で誕生する。 幼少の頃より書を松花堂昭乗に師事し、能書の誉れ高かった。後水尾天皇・東福門院の御前で揮毫する栄誉に浴した。

 寛永13年、17歳の時、父遠州が品川林中に御殿及び茶亭を造り、将軍家光の御成りを仰ぎ献茶をした時、給仕を務める。幼少の頃より、父から茶道を学び、江戸在住の懇意な諸大名を自邸等に招いて、度々茶会を催している。
 正保4年、父遠州が伏見奉行屋敷において死去すると、近江小室の父の遺領を継いだ。翌年には遠州の遺物として、拝領の「立花丸壷茶入」「朝陽図」等を将軍に献上する。 遠州の遺物として諸家に遺した茶の湯道具は、茶入108点、茶碗32点、花生40点、香炉31点、香合19点、掛物45点、巻物類16点、水指・建水等7点、茶台・硯・風炉・釜等60点、以上358点にも及び、前田家や酒井家をはじめとして 遠州に縁のある人に分けている。

 承応2年(1653)には、遠州のために領地小室内に、菩提所として弥勒山孤篷庵を建立する。

 宗慶は、父遠州より受け継いだ茶道の正統を文書として書き残すこともして、諸道具の整理・遺物帳等を作成し、小堀家万代の基礎をきずき、延宝2年(1674)55歳で江戸上屋敷で没した。