長月を迎えて
2025-9-1 UP
今年もあと四ヶ月残すだけになった。皆様はどう感じられているだろうか。私にはあっという間であったというのが正直なところである。恒例の行事に加え、母の一周忌や宗白先生の二十七回忌法要もあった。一方で、宗翔の挙式および披露宴は、今年一番うれしい出来事であった。
九月一七日は私の誕生日である。そして古稀祝賀会や茶会が実行委員会の主催で予定されている。正月から古稀のお祝いをたくさんの方々から言われ、「まだまだ満六八歳ですよ」と返答していたのであるが、ついに六九歳になるわけである。六〇代最後の一年というよりも、いよいよ七〇歳が目の前に見えてきたという感じである。現在のような日々の過ごし方をしていると、多分来年のその日もすぐ来るのではないかと思う。
私自身は、七〇歳という年齢について深く考えたことはいままでまったくなかったし、おそらくこれからも気にするつもりも無いように思う。とはいえ、状況のなかから少しずつなにかを探すことは考えられる。いま思いつくのは、遠州流の流祖遠州公の年齢である。正しく享年六九歳ということで、当然それは数え歳でカウントされているので、来年には私の方が越えてしまう。その意味合いでは、少しはまじめに年齢のことを考えなくてはいけないのかもしれない。
今年も例年通り茶事の日程を年間スケジュールの中であらかじめ押さえて行なっている。三月にまず五日間開催した。このときは、なんとなく古稀と名乗りをあげない形で行なった。取合せ等は、実は完全に古稀を意識しての内容であった。それは、冒頭に書いたように、自分の気持ちのなかに正式の古稀の茶事は来年からかな……などといろいろな気持ちが交錯していたからである。しかしながら「よい時候になりましたのでお茶を一服」と通常のご案内をしても、招かれたお客さまは「古稀の年にお呼びいただいて……」と返された。
ということで三月はプレ古稀にしておいたが、五月の初風炉からは、古稀を迎えての茶事と名乗りをあげて催している。どちらにしても、ひと月のなかで数日しか日程が確保できないので、来年あたりまでの茶事は古稀のタイトルから逃れることはできなそうだ。先代は還暦の年に毎月五日間茶事を行った。しかも一日に二回、一一時半開始の回と、夜は五時半から。だからひと月五日といっても、九回から一〇回は茶事をしていた。年間にすると百回に近い数字である。これはその年に副家元になる私に茶事を通しての茶の湯の根本を、身をもって示す意味合いをもっていた。知識だけではなく、肉体で茶道と同化していく、その感覚を私自身は一年を通して学んでいた。このことがいまでも私の体の芯にしっかりと刻み込まれている。その先代への感謝の気持ちを改めて茶事を催しながら、一服の茶を練ることは、幸せなことである。