大宗匠を偲んで

2025-10-1 UP

 去る8月14日の早朝、裏千家の千玄室大宗匠のご訃報に接した。102歳という大往生ではあるが、たいへん悲しく寂しい知らせであった。
 私は、大宗匠とは常々三つの接点を感じていた。一つはいうまでもなく、茶道の世界の大先輩であり、世界に茶を広められた功労者であること。二つ目は、私の父、紅心宗慶宗匠と同い年であり、大宗匠は特攻隊、父は終戦後シベリア抑留生活4年余りという、いずれも先の大戦で青春時代を、本人の思いとは別の形で経験し、戦後は茶道を通して日本の復興を果たされた巨星であるということ。三つ目は、現・裏千家家元千宗室宗匠と私も同い年であるという点である。以前は遠い存在のように思っていたのであるが、父宗慶宗匠を亡くしたあとは、同じ雰囲気を実は感じていた。そしてなんとも偶然であるのだが、全くのプライベートの場所、映画館や寿司屋で年に一度は必ず遭遇していた。実はご逝去されるひと月半ほど前にも、出張から帰京し東京駅の改札を出てすぐのデパートの入り口前でお目にかかった。声をかけると「おう」と応じられ、5分ほど立ち話となった。ここではその内容を書くことは遠慮するが、そのとき「初めて聞くことだなぁ」という、いつもとはちょっと違う話をされ驚いた。そんなことから、なんとなく写真を撮りましょうということになり、これも異例のことであった。「熱中症にはご注意ください」と申し上げ、そして最後は握手をして、いつもと同じように「あんたも頑張ってや」とおっしゃり、笑顔で歩いていかれた。7月に入って、全く別の件で大宗匠が体調を崩されたことを知り、ご高齢ゆえにちょっと心配をしていたが、東京駅での姿が記憶に新しいので、またお目に掛かれると考えていた。
 8月になり、私は久しぶりに蓼科に静養に出た。その時期はどうしてもテレビをはじめとして、太平洋戦争関連の番組や報道が多くなる。以前コロナ禍の頃の不傳庵日記に書いたことがあるが、時間が余ったこともあり、亡父の書いたものを整理したりしているうちに、先の大戦についてあれこれ考えるようになり、過去のドキュメンタリーや記録映像、映画、小説などを数多く見、ふれる機会を得るようになった。戦争はあってはならないものという気持ちが自分のなかでとても強固になったのもその頃である。以来、8月は私にとって特別な意味をもつようになった。まして今年は戦後80年の節目である。終戦記念日を翌日に控えた14日の朝、目が覚めて朝食をとったあと、不思議なことに「大宗匠はお元気かな」と頭の中に浮かんだ。そしてしばらくして、海外渡航中の宗翔から、ラインでご逝去を知らされた。
「ああ」と、あとは言葉にならなかった。そして最後にお目に掛かった東京駅のことを思い出した。あのときの手のぬくもりは忘れられない。父とは違うけれども、どこかに共通する感触。謹んで哀悼の意を表したい。