お茶は幸せ
今年ほど、冬から春にかけての日本列島の気象状況に地域格差が大きかったのはめずらしいのではないだろうか。東北や北陸方面は、大雪や寒波の影響を受けて、家からの出入りが不可能になったり、雪かきで高齢者の方々が怪我や負傷されたりの報が毎日のように流れていた。一方、太平洋側では雨が降らず、乾燥がひどい場所が多く、山火事などが発生していた。東京も、雨が降る日が年明けからほとんどない状態のまま、弥生の声を聞くことになりそうである。
この時季、私自身の体調面でもっとも注意しているのが花粉症である。従来、それほどひどい症状ではないのだが、今年は、外出したある晩、帰宅して風呂も入り身体的には十分に清浄なはずではあったが、夜の10時頃からくしゃみが連続し、まったく止まらない状態となった。就寝時もそれが続き、翌朝はそのせいか喉を傷めてしまった。元来、喉が強くないほうで、出張中のホテル宿泊の最中も、必ずマスクを装着してベッドに入るようにして用心するくらいであるが、やはりくしゃみの連続で喉が反応して、翌日から数日間、不快な日々を過ごすこととなった。聞けばそのときは花粉よりも、むしろ黄砂であった可能性が高かったようである。いずれにしても、かつてない乾燥下では、いろいろと注意すべきことも多い。宗家では、炭を毎日使用しているので、火の用心には格別に気を配っている。以前のように枯葉で焼き芋などはできないのは当たり前として、茶事では、湯を沸かす炭以外にも、会席の焼き物(魚)はやはり炭で、しかも台所の外で焼くのが常である。このとき使用するのは、茶道用のさくら炭ではなく、火力の強い備長炭である。火を熾すには灰吹き(竹の筒)などを使うが、灰が飛び散らぬよう、また火の粉が拡散しないようしなければならない。このあたりは、宗家、水屋番や、料理番の長年の熟練が必要となる。
私はそういった裏方の人の努力と工夫の積み重ねのうえで、お客様の前で炭点前をし、会席の給仕役をつとめ、濃茶を点てているわけである。したがって、お客様からの視線に加えて、襖や障子の外にいる人たちのさまざまな思いを背中に背負って茶を練るのである。当然のこと、絶対に美味しい料理を運びお茶を出さなければいけないのである。そうでなければ最後に「ご馳走様でした」の言葉をいただくのはおこがましい。そういう覚悟で臨んでいる。
「ご馳走様」という言葉には、単純にお腹がいっぱいです、というだけでなく、あらゆる意味が含まれている。道具組がよかっただけではなく、亭主ぶりがよかったというのも大切である。そうなると道具も大切、取合せも大切、点前も大切、言葉のやりとりも大切、つまり大切尽くしである。茶道が総合芸術といわれる由縁である。そしてあらためて、私たちはそこに身を置いていることが本当に幸せであると思う。