一喜一憂

2025-5-1 UP

 この春の気候は、いつにもまして不安定である。三月の中旬に、初夏を思わせる気温になったかと思えば、突然雪が降る。むかしから三寒四温といわれてはいるが、寒にしても温にしても極端な変化である。この状態が繰り返されると、私たち人間はもとより、食するもの、野菜・肉・魚すべてのものに異変が起きてしまう。茶道の世界で、最も影響を受けるのが、床の間を飾る茶花である。

 三月の末に、毎年恒例としている茶事を数週間行なった。春分の日あたりからの催しであったのであるが、最近の気候では桜が開花していることが多く、むしろ四月前には散り始める年もある。道具の取合せをするときに、当然、季節感を代表するものとして、桜に関するものを何点か取り入れることが多い。在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」、紀貫之の「桜散る木の下風のさむからで 空にしられぬ雪ぞふりける」といった歌仙の掛物は、宗家道場の向栄亭の床の間に、決まってこの季節に掛けられている。以前は四月の入学式時分の稽古のときに使っていたが、いまは卒業式のころによく用いている。

 というわけで、この度の茶事においても、こういった発想に近い取合せや設いが中心であった。しかし彼岸の前に、日本列島は急な寒気におそわれた。私の前提条件の、桜の開花宣言が出そうにもない。これは困ったなぁと、口には出さないが、いったいどうしたものかと頭を悩ましていた。一方、後入の床の間の主役となすべき椿の方はというと、これはちょうどよさそうな白椿が、いくつも蕾をもっていた。宗家には、獅子王を始め、加茂本阿弥、玉手箱、窓の月などの白椿が植えてある。それらがみな、春は今かいまかと蕾を膨らませていた。ところが、それに添える枝物がない。白椿だから、少々赤い色あるいは薄紅色の花をもつ枝物がよく取り合うはずである。日向水木や伊予水木もよいが、後入の花のインパクトにはやや欠けると私は思っている。もとより茶花は自分にとって大好きなものであり、特に後入の花には全身全霊をかけていると言ってよい、大切にしているものだ。これは、父紅心の花との向き合い方を若いときから見ていた影響が大である。ともあれ茶事の数日前は、道具より自然の生命あるものとの一喜一憂である。

 そして前日になると、東京はなんと気温が20度以上に急上昇した。すると、赤い蕾をまったく見せていなかった庭の海棠が急に膨らみ始めた。これはよかったと思う一方、庭の白い椿の数々は一気に花を咲かせて、開ききったものはどんどん落ちていく。いよいよ明日から始まる、どうするどうすると気持ちと心が乱れる。そのなかの数本の椿を見つけ、ちょっと工夫をして茶事当日。後入には自分の思いに叶った花を入れることができた。本当に幸せな瞬間であった。