移動

2024-6-1 UP

 三月の遠州忌茶筵を終えて以降、私のスケジュールが加速度的に忙しくなってきた。この六月に至るまで毎週末は、真台子の特別稽古や支部出張、春季許状授与式など、全て行事が入った。毎年、私の年間予定は前年の九月から十月初旬までに決定するのであるが、やはりその時はまだ現実味が薄い。事務局が、各支部からの出張要請を調整し、その上で、宗家研修道場での直門の稽古日、特別稽古、私自身が直接に教導する奈良、名古屋、福岡、大阪、金沢のいわゆる直轄教場の日程が加わる。さらに、その年だけ催される献茶や供茶、茶会等がどんどん上乗せされる。そういった作業を経て私のもとに原案が示される。その隙間に、茶事の日程など、事務局では予定していない、私自身の茶の湯の活動を入れたりした頃には、ほぼ毎月の手帳のページは真っ黒になってしまう。支部出張は土・日・月となるが、直轄指導の出張は平日である。できるだけ効率よく移動することを考える性格なので、新幹線と在来線の乗り換えなども可能な限り時間をスリムにしている。といった具合で年間スケジュール表が完成した時には、それなりの満足感を得る。びっしりと埋められた予定表を見ながら、松本清張や西村京太郎のトラベルミステリーのような気持ちだと表現したらご理解いただけるだろうか。
 ところが、これが現実になると、私自身の体力や疲労度などによって結構苦しくて窮屈に感じることがある。つまり机上の空論は、やっぱり駄目であると後になって気がつくわけである。この精神的なギャップは年々、自分が齢を重ねるごとに大きくなってきた気がする。
 それでも、ゆったりする気にはならないのが、辛いところである。その一例として、私はだいたい金沢真甫会の翌日に名古屋真甫会に行くことが多いのであるが、四月からの北陸新幹線の延伸による乗り継ぎの変化への対応があげられる。従来、金沢から米原まで、特急「しらさぎ」で移動、米原から東海道新幹線で名古屋へ向かっていた。米原での乗り継ぎ時間は12分あった。しかし四月からは、まず金沢から敦賀まで北陸新幹線で行き、そこで「しらさぎ」に乗り換えるのだが、その時間は8分間しかない。しかもコンコースを三階から一階への移動である。前の晩、ホテルで敦賀駅の見取り図を何度も眺めながら、頭の中で繰り返しイメージを掴むようにする。そうした中、これは無理かもしれないと少々不安になる。とにかく下に降りるエスカレーターに近い車両に、敦賀に着く前に移動しておこうと決めてベッドに入り込んだ。さて翌朝、いささか初めての遠足に行くような気分で目覚め、ホテルをあとに金沢駅へと。そして新幹線の初乗車を楽しみつつ、予定通り敦賀到着時にはエスカレーター近くで降車。やや速足で一階まで移動。8分が意外と余裕があり、すんなりと「しらさぎ」に乗車。考えれば車内放送でこの乗り継ぎを案内しているのだから、不可能ではないという事である。私の移動はいつもこんな感じである。