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駿府城

天正期、駿府を拠点にした徳川家康は駿府城を四年かけて築城しましたが、小田原の北条征伐で戦いに勝利した家康は、関東に国替えとなって江戸に移ります。家康は完成間近であった駿府城に入ることが出来ませんでした。

そして慶長5年〔1600〕の関ヶ原の戦いに勝利した家康。今度は駿府城を身内の内藤三左衛門信成に与えます。家康が大御所として駿府城主となると、内藤は長浜城主として琵琶湖の長浜に移りました。慶長12年秀忠に将軍職を譲り大御所となった家康はいよいよ修築を終えた駿府城に移り住みますが、間も無く火災にあってしまいます。そこで年が明けた慶長13年、小堀遠州が駿府城の作事奉行を命じられます。その功により従五位下諸大夫遠江守に任命され、以後小堀遠州と呼ばれるようになるわけです。小堀遠州30歳、この一年遠州は駿府に滞在していたようです。また織部も同様に駿府におり、家康へ茶の湯指南や茶会を催していたようです。そして残念ながら小堀遠州の手がけたこの駿府城も今度は家康没後の寛永12年(1635)茶町からの出火が原因で城内に飛び火、豪華絢爛な天守や御殿をほとんど失ってしまいました。駿府城がどんな城であったのか、わからなくなってしまった部分も多くありますが、小堀遠州と大工頭であった中井正清が後に手がけた二条城とこの駿府城は同じ作り手によるものであることから、内部の意匠その他が酷似していたと言われ二条城からその当時の様子を偲ぶことができると言われています。現在では本丸、二ノ丸部分は駿府公園として整備され、巽櫓、東御門の復元もされ一般に公開されています。

所在地 静岡市葵区駿府城公園1

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遠州流茶道連盟
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