仙洞御所
寛永四年(1627)遠州公は後水尾天皇の御所造営を拝命します。しかし、御所が完成する前に天皇が突然退位され七歳の皇女(明正天皇)に皇位を譲ります。退位された後水尾天皇と東福門院お二人のために仙洞御所、女院御所を作ります。仙洞とは退位した天皇のお住まいを指す言葉です。また寛永十一年(1634)遠州公は仙洞御所の御庭泉石構造の奉行を拝命し力を注ぎます。これまでに例のない直線的な護岸をつくりすっきりとした斬新な美しさを作り出しましたが、現在の庭は度重なる改修で大きく姿を変えています。静岡県・金谷のお茶の郷博物館では仙洞御所の東庭を、造園当時のまま再現しています。現在は出島となっている部分も当時のままの中島で作られており、遠州公の作庭の特徴がよくわかります。
