桂離宮
雲は晴れ 霧は消えゆく 四方の岑
中空清く すめる月かな
上の歌は桂離宮を手がけたといわれる八条宮智仁親王の歌です。この桂離宮は遠州公の好みが色濃く伝わる建物としても有名で、かつては遠州公作と言われていた時代もあります。さて、この桂離宮は月と深い関係があります。仲秋の名月の夜、正面に月が見えるように作られた「月見台」これは書院座敷から庭へ突き出るように設置されていて月を見るための角度や形が計算されています。また「月波楼」という名の茶室「浮月」という手水鉢襖の引手も月型です。他にも月にちなんだものがたくさんあり親王の月を愛する心が伝わってきます。
遠州が造営に関与したのは、二代目・智忠親王による寛永18年(1641)ごろのことと見られます。回遊式の庭園には苑路に沿って茶屋や腰掛が配され、かつて桂川から水を引いた池(現在は離宮内に大きな井戸を掘り、その水を流しています)の西岸には、古書院・中書院・新御殿が雁行状に並んでいます。
遠州と桂離宮を結び付ける一時的な資料は存在しませんが、随所に「遠州好み」を見いだすことができます。古書院御輿寄前に向かう、切石をすき間なく組み合わせた延段は、遠州好みの「真の飛石」です。この石の合わせ方は孤篷庵の表門の石組に似ています。延段は千利休の時代まではすべて自然石を集めていましたが、切石と自然石を混ぜるようになったのは遠州からです。
松琴亭は当初、茅葺の一棟で、十一畳と六畳の二の間に水屋・勝手が含まれ、花見・月見・歌会の宴などに用いられたと考えられます。茶室に至る腰掛待合には、遠州好みの二畳枡の手水鉢があります。三畳台目の茶席は、床を背にする遠州流の下座床で、名栗の床柱に塗框を入れている点も遠州風です。
所在地:京都市西京区桂御園
