2月19日(金)能と茶の湯

2016-2-19 UP

2月19日(金)能と茶の湯
「芦屋(あしや)高砂釜」

ご機嫌よろしゅうございます。
今週は「高砂」にちなんだ釜を
ご紹介します。

現在五島美術館に収められている
芦屋の高砂釜は鴻池家伝来で、
同家にはもう一つ高砂地紋釜があり、
江戸時代中期には二つ揃えであった
といわれています。
一面に尉と姥を、
他面には竹林に鶴を配しています。
鐶付は亀です。そして、

我見ても久しくなりぬ住吉の
岸の姫松幾世経ぬらむ

この歌が尉と姥、竹林の模様の間に
鋳出されています。

「私が見てからも久しいこの住吉の姫松は
一体どれだけの御代を経たのであろう。」

この歌は高砂から住吉に移り、住吉明神が
現れて謡ます。
また「伊勢物語」や「古今集」にもこの歌が
みられます。

2月15日(月)想(おも)い葉

2016-2-15 UP

2月15日(月)想(おも)い葉

ご機嫌よろしゅうございます。

昨日2月14日はバレンタインデーでした。
バレンタインはもともと、西暦269年に
兵士の自由結婚禁止政策に反対した
バレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害によって
殉教した日を記念した祭日(2月14日)と
むすびつけられて出来たもので、
今では女性から男性にチョコレートを贈るという、
日本独自の習慣が生まれ人々に受け入れられています。

さて、そんな日にちなみまして
茶畑からこんなお話を。

茶葉の中で、二枚の葉がくっついたものを
「想い葉(おもいば)」と呼ぶのだそうです。
四つ葉のクローバーのように珍しいもので
これを見つけると恋の想いが、相手に伝わる
といわれているそうです。

茶摘みはかつて若い娘さんの仕事で、
新茶時期には茶農家に泊まりこみで働いたの
だそうです。
茶摘みをする娘さん達も、偶然見つけた想い葉に
心を躍らせていたのでしょうか。

2月12日(金)能と茶の湯

2016-2-12 UP

2月12日(金)能と茶の湯
「染付高砂花入」

ご機嫌よろしゅうございます。
先週は「高砂」のご紹介を致しました。

この「高砂」にちなんだ道具でよく
知られるのが、
「染付高砂花入」です。

図柄と形が大変インパクトのある花入で
花入の首の裏表に描かれた二人の人物が
尉(じょう)と姥(うば)に見立てており、鯉耳のついた
砧型をしています。鯉も日本では
祝意を表すものとして好まれます。
肩には蓮弁文、胴部分に水藻文が施されて
いて、この手の類のものは「高砂手」と
呼ばれています。

日本以外にはこの手のものが見当たらないこと
から日本からの注文品と考えられ、
本歌は中国・明代末期とされています。

2月15日(月)想(おも)い葉

2016-2-8 UP

2月15日(月)想(おも)い葉

ご機嫌よろしゅうございます。

昨日2月14日はバレンタインデーでした。
バレンタインはもともと、西暦269年に
兵士の自由結婚禁止政策に反対した
バレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害によって
殉教した日を記念した祭日(2月14日)と
むすびつけられて出来たもので、
今では女性から男性にチョコレートを贈るという、
日本独自の習慣が生まれ人々に受け入れられています。

さて、そんな日にちなみまして
茶畑からこんなお話を。

茶葉の中で、二枚の葉がくっついたものを
「想い葉(おもいば)」と呼ぶのだそうです。
四つ葉のクローバーのように珍しいもので
これを見つけると恋の想いが、相手に伝わる
といわれているそうです。

茶摘みはかつて若い娘さんの仕事で、
新茶時期には茶農家に泊まりこみで働いたの
だそうです。
茶摘みをする娘さん達も、偶然見つけた想い葉に
心を躍らせていたのでしょうか。

2月8日(月)珠光茶会

2016-2-8 UP

2月8日(月)珠光茶会

ご機嫌よろしゅうございます。

今日2月8日から14日の7日間、
村田珠光(むらたしゅこう)のゆかりの地である奈良で、
「珠光茶会」が催されます。

奈良では、古より様々な文化が育まれてきました。
そのうちの一つである「茶の湯」を通して
奈良の魅力を発信することを目的に行われる
このイベントは今年で三回目となります。

遠州流茶道は第1回から参加し、
お家元も第1回目は来賓として招かれ、
昨年は元興寺でお献茶をご奉仕されています。

奈良市内の世界遺産を含む八社寺や、
歴史的な街並みが残る「ならまち」のお茶室を
舞台に、今年は七流派(遠州流茶道、表千家、裏千家、
武者小路千家、石州流、藪内流、宗徧流)が一堂に会し、
普段からお茶に親しんでいる方だけでなく
お茶に馴染みのない方、観光客の方にも
楽しんでいただける茶会になっています。

遠州流は2月11日(木)に薬師寺まほろば会館にて掛釜
また14日(日)には水之江 福智院店にて、
初心者に向けた講座「扇子の使い方と薄茶席」の
体験を行います。

2月5日(金)能と茶の湯

2016-2-5 UP

2月5日(金)能と茶の湯
「高砂(たかさご)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「高砂」についてご紹介します

平安時代前期の延喜(えんぎ)の頃。
都を見物しようと九州からのぼってきた友成一行は、
高砂の浜辺に立ち寄り、松の落葉を掃く老夫婦に
出会いました。
老夫婦は相生(あいおい)の松のいわれについて、
高砂の松は『万葉集』、住吉の松は『古今和歌集』
をあらわし、歌が盛んに詠まれ世の中が
平和であることを象徴する松なのだと語ります。
そして我ら夫婦は、それらの松の精なのだと
正体を明かし、住吉で待とうと告げて小舟に
乗って姿を消します。友成らが月夜に船を出し、
住吉の浜辺にやってくると、西の波間から
住吉明神が現れます。明神は長寿をほこる
松のめでたさを称え、さっそうと舞を舞います。
澄んだ月明かりのもと、舞につれて、
松の梢に吹き寄せる心地よい風の音が聞こえ、
明神は平和な世を祝福するのでした。
(※日本芸術文化振興会参照)

「高砂」は、祝いの曲として広く知られ、今でも
祝言やおめでたい席でうたわれます。
次週はこの「高砂」に関連した茶道具を
ご紹介します。

1月29日(金)能と茶の湯

2016-1-29 UP

1月29日(金)能と茶の湯
「翁」

ご機嫌よろしゅうございます。

新年を迎えると、「翁」とよばれる演目が
必ず各地の能舞台で演じられます。
「翁」は能の中でも神能の特殊な演目で
「能にして、能にあらず」と言われ
霊的な力を授けられた”神の使い”である翁の舞は、
国家安静、五穀豊穣を祝う神事とされています。

「とうとうたらりたらりら
たらりあがりららりとう…」

という謡にはじまり、舞の間に翁が翁面を
つけるのですが、観客の前で演者が面をつけるのは
この曲だけ、この面をつけることにより
翁は神格を得ます。

遠州公がこの「翁」にちなんで銘をつけた
茶入があります。「大正名器鑑」には
「作行の古雅なる、黄釉のなだれの物寂びたる
人をして翁の面に対する想いあらしむ」
と記されています。

瀬戸破風窯のその茶入には挽家蓋・内箱蓋・仕覆蓋
の書付を遠州公自らしており、愛蔵ぶりが伺えます。

1月 25日 (月)君がため…

2016-1-25 UP

1月 25日 (月)君がため…

ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの季節にちなんだ和歌をご紹介します。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む

我が衣手に 雪は降りつつ

あなたにさしあげるため、
春の野原に出かけて
若菜を摘んでいる私の着物の袖に、
雪がしきりに降りかかってくる。

光孝天皇がまだ時康親王だった若い頃、
大切な人の長寿を願い春の野草を贈った際
添えた歌です。
昔から、新春に若菜を食べると邪気を払う
ことができると考えられてきました。
現在でも、1月7日に「七草粥」を
いただく習慣が残っています。

1月 22日(金)能と茶の湯

2016-1-22 UP

1月 22日(金)能と茶の湯
「利休と能」

ご機嫌よろしゅうございます。

侘び茶の大成者である千利休は、
大変能が好きで、勧進能といわれる
能の興行ごとに足を運び、宮王道三・三郎
兄弟の能楽師の楽屋をときおり訪ねていた
といいます。
また、この三郎には宗恩という妻がおり、
利休の様々な質問にも明朗な回答をする
聡明な女性でした。

利休は謡曲をこの兄の道三に学び、道三は
利休に茶を学ぶ大変親しい間柄であったことも
あってか、
天正九年(1581)に利休の先妻が
亡くなった翌年、三郎を亡くしていた宗恩と
利休は道三を親がわりとして結婚しています。

また利休には実子道安がいますが、
三郎と宗恩との間にできた息子道安と同い年の
少庵を養子とします。
この少庵が千家第二代であり、三代目は
少庵と利休の娘お亀との間に生まれた宗旦です。

この宗旦と遠州公は同い年になります。

1月18日(月)お稽古場の風景

2016-1-18 UP

1月18日(月)お稽古場の風景

ご機嫌よろしゅうございます。
今年の点初めも無事に皆様をお迎えし
宗家道場では本年初の稽古が始まりました。

床の間を拝見し、お稽古の支度
新年を寿ぐ清々しい道具組に
気持ちも自然と引き締しまります。

そんな宗家道場の稽古場の様子をお伝えします。

床  紅心宗慶宗匠筆 千年丹頂鶴
花  曙椿 白梅
花入 青磁 鳳凰耳

掛け物の「千年丹頂鶴」は「万年緑毛亀」
(まんねんりょくもうのかめ)
と対句になります。
「鶴は千年、亀は万年」という言葉も
ありますように、鶴と亀は共に長寿と福寿を
象徴するものです。
新年や慶事の際に掛けられる、
祝慶を尽くした語です。
千年丹長鶴