瀬戸破風窯茶入「玉川」中興名物 遠州蔵帳所載
2014-10-25 UP
その景色から遠州公が
いまぞ見るのちの玉川たづねきて
いろなる浪の秋の夕暮れ 碧玉集
から銘命したといわれています。遠州公の茶会では特に使用の記録ありませんが、挽家の金字形は遠州公の筆跡で「玉川」とあり、遠州公筆の和歌色紙の掛け物が添っています。遠州公所持の後、土屋相模守、松平弾正、神尾左兵衛、寛政の頃には(1789ー1800)信濃国上田城主松平伊賀守江戸十人衆河村家を経て松浦心月伯爵に伝わり、後に藤原銀次郎に伝わりました。
