頼久寺

遠州公が備中で奉行を務めたのはおよそ十三年間。その間まちづくりにも深く関わったと言われています。松山城が荒廃していたため、父・新介正次と共に遠州公は頼久寺を居とします。この頼久寺の庭園は、遠州公が初めて作った庭園と言われています。愛宕山(あたごやま)を借景(しゃっけい)に、
砂の波紋で海洋を表現し、鶴亀二島の蓬莱石組、鶴島の三尊石組を配しています。サツキで大海の波を表す大胆な大刈込みは、遠州公独特のものです。

またこの地の特産品にも遠州公と関係が古くから紙の生産が盛んであった備中。特に戦国時代から朝廷や幕府に檀紙を納入する柳井氏を指導・保護し、備中特産の紙の流通に大きく関わっていました。
また柳井氏は、遠州公の指導で茶の湯で使用する「釜敷紙」生産したとも言われています。
遠州公がこの地に伝えたとされる「ゆべし」もともとは戦の保存食であったものでしたが、もち米に備中名産の柚子を練りこんだ和菓子に姿を変えました。現在でもこの地の特産品として根付いているそうです。
