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金地院こんちいん 八窓席・方丈南庭 鶴亀の庭

黒衣の宰相とも称され、家康の側近として絶大な権力を持ち活躍した以心崇伝。その崇伝は応仁の乱でほとんど消失してしまった南禅寺を再興します。その際、遠州公に複数の建築や作庭を依頼しています。崇伝の自坊であり、家康の東照宮が分祀された金地院には、各大名や将軍が御成になることも考えられ、遠州公は家康公への畏敬と崇伝の繁栄も願って神仙蓬莱式の枯山水を構想しました。方丈前に敷き詰めた白砂を海原に見立て、右に松を植えた鶴島、左に柏槇植えた亀島を配しています。庭の中央には大きな礼拝石があり、右方のやや高い場所に建てられた東照宮に相対しています。
各大名から寄進された名石を配したこの庭は「鶴亀の庭」と呼ばれています。また三畳台目の茶室「八窓席」は複数の連子窓や下地窓を機能的に配して外からの自然光が茶室全体を回るように工夫がされています。実際は大きな連子窓3、下地窓1、床脇の墨蹟窓、袖壁の窓で計6窓ですが、名前は八窓席と呼ばれています。縁から躙りに入る形式や壁面に大きく連子窓をあけた開放的な構成、客殿や書院に通じる二本襖の口を開くなど、遠州が得意とする手法が見られます。遠州公が崇伝の依頼を受け、構想を始めたのは大方丈の庭とほぼ同時でしたが金地院の方が大方丈の二年後に完成しています。

南禅寺 方丈南庭 鶴亀の庭
南禅寺 方丈南庭 鶴亀の庭
遠州流茶道連盟
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