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名古屋城

慶長17年、小堀遠州24歳の時に、尾州(愛知県)名古屋城天守構造の作事奉行を勤めました。名古屋城は慶長15年(1610)に徳川家康がその子・義直(尾張徳川氏)の居城として築いたもので、加藤清正は本丸の石垣構築に従事し、諸大名も工事に従事しました。
この名古屋城は大坂冬の陣・夏の陣に備えて築かれたものですが、大勢はすでに徳川方の優位に傾いていました。そのため遠州公は、戦のための城ではなく、天下泰平の象徴となるような優雅で美しい城を築いたのです。
一方、大坂城は豊臣政権の象徴としての性格を持ち、西日本支配の拠点として、豊臣の威光を完全に払拭することが求められていました。そのため大坂城は従来の城郭に比してさらに大規模かつ重厚に築かれ、権力を誇示する外観を備えていました。
このように、同じ城郭であっても、名古屋城は「天下泰平の象徴」、大坂城は「権力の象徴」と、それぞれに異なる役割が与えられていたことは実に興味深いです。遠州公はこうした城郭建築においてその手腕を存分に発揮し、その名を世に知らしめることになりました。

天守閣上の金の鯱(しゃちほこ)により「金城」の名で讃えられました。名古屋城は昭和5年に城郭として初めて国宝に指定されましたが、第二次世界大戦の名古屋空襲で焼失しました。市民の多数の寄付により1957年にコンクリートで再建され、2018年には本丸御殿の復元が完成し公開されました。

所在地:名古屋市中区本丸1-1

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遠州流茶道連盟
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