江戸城 二の丸庭園
寛永六年(1629)小堀遠州五十一歳、二条城の作事の途中、江戸から急なお召しがあり、参府します。大御所秀忠の命により、西の丸新山里の露地・池を含む築庭の指揮をとることになりました。西の丸は大御所隠棲の館。遠州公の作事奉行としての実績に加え、茶人としての評価の高さ故の命でした。
その後も寛永七年、十三年と二の丸庭園の作事の指揮もとります。その後家光の代での改修、現在皇居東御苑に残る二の丸庭園は、後の火災により焼失し、復元されないままになっていたものを昭和三十六年から六年かけて整備、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。現在の庭園は遠州公当時のものではありませんが、「白鳥濠」には「野面積み」という手法で積み上げられた自然石の美しい濠の一部が残っています。遠州公はこの石垣を生かし、桟敷席と能舞台を設置した斬新な設計で、招待されたお客様を大変驚かせたようです。
所在地 東京都千代田区千代田1-1
