東海道旅日記 上りの記 【01】 9月22日
2019-6-23 UP
酉 9月
22日天快晴 午時許にむさしの江戸を立したしき人々のここかしこ
馬の餞すとて 申時許 科河(しながわ)の里をいでて
いそぎけれども 酉時許に神奈河里に着
此所に一宿 宵燭ほどに又ともだちの名残
おしみて馬の餞すとて 酒肴 小壺に茶を入 文添てをこせたり
その返事 その返事 取集たる言種いひやる次に

別といふ心を
かへりこむと ちぎるもあだしひとごころ
さだめなき世の 定めなき身に
解説
元和7年(1621)9月22日、午時(うまのとき)、ちょうどお昼を過ぎた頃。遠州公は江戸駿河台の屋敷から出発し、京都への旅が始まります。この時43歳。前年には嫡子正之が誕生しています。

遠州公の屋敷は牛込と駿河台にあり、この駿河台の屋敷には秀忠の御成を迎えたと考えられています。将軍にお茶を差し上げるにふさわしい数寄屋の整った屋敷でした。
駿河台は江戸城に近く、武家屋敷が並んでいました。その屋敷の敷地は広く、明治維新の際に政府に土地が返還された後は、大学等になったそうです。遠州公の屋敷跡には後に中央大学の校舎が建ち、現在では商業ビルが建てられています。
