本阿弥光悦
寛永14年(1637) 2月3日、本阿弥光悦は80歳で没しました。その訃報を受けた遠州は、お悔やみの書状を書き、光悦の養嗣子の光瑳に宛てて送りました。遠州と光悦の関係の中で、最もよく知られている事柄は「膳所光悦」の茶碗誕生の一件です。寛永13年(1636) 5月21日に、品川林中の御茶屋に将軍家光をお迎えして献茶された際に、その控えの茶碗として用いられたのが、光悦に依頼して作製された、膳所光悦の茶碗でありました。この大事なお茶会に遠州が光悦を選んだことは、当時光悦を最も優れた芸術家として、またその人間性をも含めて尊敬していたからに他ならないと言えます。また光悦自身も、遠州が指導した膳所窯の性質を認めたことからこの茶碗が完成しました。したがって、遠州と光悦の、心と心の通いあいの結晶が、膳所光悦の茶碗となったといえます。