寒がり

2024-3-1 UP

 今年は暖冬であると昨年末から長期天気予報などを通してよく耳にしたが、実際はどうなのだろうか。人間というのは、結局のところ自分自身の体感でそういったことを判断しているから、気象庁が発表しても、本人が実感しないことにはなんともいえないのではないか。つまりは正解はなかなか見いだせない。私自身は、暑さ寒さのどちらに強く、どちらに弱いかと尋ねられれば、即座に寒いのが嫌いと答える。わかり易くいえば、寒がりなのである。なぜ、いつからそうなったのかはよくわからない。比較的女性に多くみられる冷え性ではないので、おそらく後天的理由が大きいかとは思う。確かに幼少の頃から冬になると母から大層厚着をさせられていた気がする。しかしそうであったにもかかわらず、剣道の寒稽古を40年あまり皆勤したり、禅寺修行のときには、暖房のまったくない部屋で日々を過ごすことができたわけであるから、寒がりであっても精神的なことで克服することができるともいえる。 精神的な影響であることは、今の私を考えると、別の意味でわかり易い。一年一年、年齢を重ねていくなかで、茶の湯の行事や宗家としての日々は不変である。そのなかで変わっていくものは、頭脳と肉体である。頭の中の変化は、前向きにいえば成長ということ。もちろん忘れやすくなったという劣化の部分もあるが、頭は常にフレッシュでいたい気持ちを大切にしたい。しかし肉体はそうもいかない。だからまず維持というところからスタートする。そして維持、つまりキープすることに体を慣れさせてから、ゆっくりと少しずつアップしていくという流れになるであろう。
 ということで、話を元に戻すと、例えば過日の点初めである。私にとっては、一年間、全ての活動は大事なものであるが、年頭の点初めは、本当に誠心誠意、全力投球である。手を抜かない、気合を入れて等々は当然のこととして、とにかく心も体も、この点初めにすべてを注入しているといってよい。
 そうなると前述の如く、頭はともかくとして、肉体をどうコントロールするかということに最大の注意を払うことになる。風邪は言語道断であるが、最近は喉の調子をどう整えるかが、一番のポイントとなってきた。各席ごとにお客様とのやりとりや、道具の取合せについての説明、この一年に対する思いを述べさせていただく。冬の乾燥とも戦いながら、最終席まで寸分変わらぬトーンで努めることが、亭主としての責任であり矜持でもある。したがって、この数年は水屋ではマスク、そして時にはマフラーで喉を冷やさないようにしていることもある。夜分リビングで寛いでいるときも同様のスタイルをしている。出張中の新幹線や飛行機の中、そして宿泊のホテルでも同じ。人に見せるのには誠に格好悪い姿ではあるが、私にはそれより大切なことが待っているから……等と本気で考えている。結果的に、一年ごとに私の寒がり度は増していくのである。