遠州公ご命日

2014-2-6 UP

2月6日  遠州公ご命日

本日は流祖小堀遠州公のご命日です。

毎年この祥月命日の2月6日には
ご家族揃って京都の大徳寺孤篷庵へ
お墓参りにいかれます。

本堂において法要を営み、
その後遠州公のお墓参りをされ
お墓参りが済むと
茶室「忘筌(ぼうせん)」において、ご住職と一緒に
お抹茶をいただきます。

孤篷庵は
1612年、大徳寺塔頭・龍光院内に、
遠州公が自らの菩提所として建立します。
この龍光院は、黒田長政が父・如水(黒田官兵衛)
の菩提寺として建立した寺です。

1643年、孤篷庵を龍光院から
現在の場所(瑞源院隣地)に移転しています。
最晩年の2年ほどはこちらにいたといわれます。

1647年、2月6日に伏見奉行屋敷で亡くなり、
ここ孤篷庵に葬られました。

 

【告知】

2月8日 長浜の慶雲館にて盆梅展がございます。

その際御家元の命名式が予定されております。

江月宗玩

2013-10-1 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

本日から神無月。
全国の神様が出雲へ集合する月です。
そのため、出雲だけは神有月と言われることはよく知られていることです。

遡ること370年、寛永20年(1643)10月1日は、江月宗玩が没した日でもあります。

江月宗玩は遠州より5歳年上で、天正2年(1574)に堺の豪商天王寺屋津田宗及の子として生まれ、春屋禅師のもとで頭角を表し、黒田長政の請に応じて大徳寺に龍光院を創設しました。
茶は遠州に学び、松花堂昭乗とは昵懇の間柄で、この両者との茶の湯の交渉はとても深いものでありました。

遠州との関わりで特筆すべきはやはり孤篷庵創建のことです。
現在の孤篷庵とは規模も性格も異なる最初の孤篷庵は、慶長17年(1612)、遠州34歳の秋に建てられました。
江月が遠州に建てるように勧め、黒田長政が援助をし、広大な龍光院の一角がその敷地となりました。
ちなみに黒田長政は遠州の11歳年上で、筑前福岡に52万石もの領地をもつ大名であり、弟子である速水頓斎を茶頭として黒田家に送るなど、茶の湯を通して深い関わりがありました。
遠州の生涯に大きな影響を与えたこの二人を結びつけたのが、春屋宗園禅師でした。
おそらく春屋禅師が、再三にわたり、遠州にも江月にも、また長政にも孤篷庵建立について話していたのではないだろうか、と推測できます。
慶長16年に春屋禅師は入寂します。
そして、その意志を実現すべく、三人は協力し、完成に至ることとなったのです。

孤篷庵の開山となった江月が住した龍光院には、曜変天目、鶴首茶入、丸壺茶入など、多くの名宝も伝来しております。
江月宗玩の茶の湯に対する愛好の深さが見て取れます。