遠州好み

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茶道具に宿る
綺麗さびの世界

中興名物の選定

茶道具に歌銘を付ける

天正16年(1588年)、大和郡山城内で開かれた関白・豊臣秀吉の歓迎茶会において、10歳の遠州は千利休に出会い、茶の湯に深い関心を抱くようになりました。15歳のときには古田織部に師事し、偉大な二人の茶人から学んだ茶道の系譜を受け継ぎながら、やがて自らの独自の世界を切り開いていきます。遠州は『中興名物』の選定を行い、それらの名物には古歌を添えて歌銘を付けるなど、風雅な感性をもって茶の湯の精神を高めました。また、遠州は選定した茶道具に複数の仕覆(しふく)や牙蓋、挽家、上質な箱や包物などを組み合わせて仕立て、付属品の細部にまでこだわることで、茶道具全体の格と品位を一層高めました。

瀬戸茶入 飛鳥川手

朱 糸目瓢箪 茶器

この茶入は、中興名物「飛鳥川」茶入を本歌とする本歌取りの茶入です。本歌取りは、古くから尊ばれてきた和歌(本歌)の語句・構成・趣向を、直接引用せずに巧みに取り入れ、新たな詩情や意味を生み出す技法です。たとえば『古今集』や『新古今集』などの名歌の一節や語をわずかに変えて詠むことで、過去の名歌の世界を背景として呼び起こしながら、新しい表現へと昇華させます。中興名物「飛鳥川」茶入の形姿・土味・釉調など共通する系統・特徴をもつ「本歌取り」の茶入といえます。本歌取りによって生まれた茶道具は、本歌の名を冠して「〇〇手」と呼ばれ、その系統を引き継ぐ作品として珍重されました。この茶入も、中興名物「飛鳥川」の美意識を踏まえた茶入として高く評価されています。

小堀遠州が本歌の「飛鳥川」茶入と初めて出会ったのは堺でのことでした。若き日の遠州に新鮮な印象を与えたこの茶入は、年月を経て伏見で再び対面した際には古色を帯び、時の流れを映す風格を備えていたといいます。その印象から、遠州は古今集の「昨日といひ今日と暮してあすか川流れて早き月日なり」の歌意にちなみ「飛鳥川」と命銘しました。

茶道具の次第しだい

小堀遠州は、茶道具そのものだけでなく、それに添えられる仕覆や箱、包物など「次第しだい」と呼ばれる付属品の美にも強い関心を持っていました。これらの次第は、道具の由来や作者、銘の意味を伝える大切な資料であるとともに、持ち主の美意識を表すものでもあります。遠州は、自ら所持する茶入に複数の仕覆や上質な箱を誂え、さらに当時人気のあった舶来の更紗さらさを包物として取り入れるなど、細部にまで美を求めました。その洗練された組み合わせには、彼独自の「綺麗さび」の感覚と遊び心が感じられます。遠州が次第を整えたことにより、茶道具は単なる道具を超え、裂地や箱、書付までもが一体となった総合的な美の世界として完成されたのです。

歌銘 箱書

歌銘 箱書

小堀遠州は、中興名物茶入に「歌銘」を多く付けたことで知られています。その多くは勅撰和歌集など古典の和歌から取られ、雅で洗練された「綺麗さび」の象徴といえます。最古の歌銘は足利義政の茶入「遅桜」とされていますが、これほど多くの歌銘を用いた茶人は遠州以外におらず、和歌の選び方にも遠州独自の新しい感覚が見られます。写真は、嶋物手付茶入 銘「梓弓あづさゆみ」の箱で、「つるといへ ばしななきものを あづさ弓 まゆみ月弓 しなこそありけり」という和歌が書き添えられています。

遠州七窯

国焼窯の振興を計る

高取・志戸呂・丹波・膳所など、いわゆる「遠州好み窯」と呼ばれる各地の茶陶の指導にもあたり、自らの意匠による茶道具の制作を積極的に行いました。これらは「遠州切形」と呼ばれ、形や色、陶土の質に至るまで細やかな指導が施されています。遠州好みを代表する意匠としては、面取・瓢箪・耳付・前押・七宝文・菱・箆どりなどが挙げられます。これらの意匠は、茶入や茶碗をはじめ、茶道具全般に及んでいます。

遠州が指導した窯は、高取(筑前・福岡県)、上野〈あがの〉(豊前・福岡県)、膳所〈ぜぜ〉(近江・大津市)、志戸呂〈しとろ〉(遠江・静岡県)、伊賀(伊賀・三重県)、丹波(丹波・兵庫県)、薩摩(薩摩・鹿児島県)、信楽〈しがらき〉(近江・滋賀県)などです。一般には、これらのうち志戸呂・膳所・朝日(山城・京都府)・上野・高取・古曽部〈こそべ〉(摂津・大阪府高槻市)・赤膚〈あかはだ〉(奈良県)の七つを「遠州七窯(えんしゅうなながま)」と称しています。また、古曽部と伊賀が入れ替わったり、赤膚と信楽が入れ替わったりするなど、伝承によって構成が異なる場合もあります。この呼称は、幕末に田内梅軒が編纂した『陶器考』に記載されたことによるものです。しかし、実際には朝日焼には遠州の書付が残されておらず、古曽部や赤膚も遠州以降に開かれた窯と考えられています。それでも、これらの窯はいずれも遠州の美意識に通じる作風を持ち、「遠州好み」といわれる遠州の美学の系譜に連なるものです。

志戸呂 耳付 水指

志戸呂 耳付 水指

志戸呂窯の茶陶制作は、遠州が徳川家康の居城である駿府城の作事に関わっていた頃から始まったと考えられています。その後、寛永年間(1624〜1644年)に入ると、茶陶の製作が一層盛んになりました。素朴な釉薬と土味に特徴のある志戸呂焼で、遠州は茶入・茶碗・水指などの制作を指導しました。志戸呂窯への注文は、ほとんどが遠州による「切形(きりがた)」—すなわち意匠の設計図—に基づくものと推定されています。この水指も、遠州の好みによって焼成されたもので、たっぷりとかかる志戸呂特有の釉薬が美しく、小ぶりながら重量感のある逸品です。静かな中にも力強さを感じさせる姿に、遠州好みの美意識がよく表れています。なお、徳川中期以降の作品には「志戸呂」の刻印が捺されています。

高取茶入 銘・下面

高取茶入 銘・下面

遠州好みの特徴の一つに「面取り」が挙げられますが、この茶入にはその好みが最も顕著に表れています。高取茶入は、遠州が指導した国焼の中でもっとも多く中興名物に取り上げられており、本品は遠州高取の絶頂期にあたる白旗山窯で焼成されたものです。腰から畳付の際(きわ)にかけて面が取られており、これが銘の由来となっています。面の部分は土見せとなっており、精製されたきめ細やかな胎土の美しさが見どころです。その土味を、面取りの造形が極めてすっきりとした美へと昇華させています。さらに、二段にかかる釉薬はきわめて薄く、普遍的な美の世界を表現しています。まさに、遠州の理想とした「綺麗さび」の典型といえるでしょう。内箱の書付は小堀家二代・備中守大膳宗慶によるもので、「下面」と記されています。仕覆は三種あり、雲生寺切・珠光緞子縫合、紹巴、黄緞が添えられています。

遠州切形 信楽茶碗

遠州切形 信楽茶碗

遠州指導の信楽焼といえば、「花橘」とこの切形の一類が知られています。この茶碗は、高取や志戸呂などに見られる形と同じく、平天目形の一部を押さえ込んだ姿をしており、俗に「スッポン口」と呼ばれています。遠州信楽の特徴である漉し土を用いて作られており、その中でも本作は特に薄作りで、繊細な造形美が際立っています。遠州が最初に注文したものと、のちに小堀家八代・宗中の時代に再び注文されたものがあり、本作はその後期の作にあたります。箱の書付は宗中の筆跡によるものです。

赤膚焼

赤膚焼は、奈良の五条山で室町時代から続く焼き物で、可愛らしい奈良絵で親しまれています。遠州七窯に数え...

古曽部焼

古曽部焼は「陶器考」に遠州七窯の一つとして記される窯で、桃山末期〜江戸初期に開窯したと伝わります。五...

丹波焼

丹波焼の歴史と特徴、遠州公との関わり、名品「生埜」茶入の魅力を紹介。さらに春日社能楽殿の床下で音響効...

膳所焼

膳所焼は遠州七窯の一つとして知られ、白土に金気釉や黒釉を重ねる独特の景色が特徴。遠州公や光悦との深い...

伊賀焼

桃山陶の名品を生んだ伊賀焼。筒井定次の移封以降本格化し、藤堂家の時代に最盛期を迎えます。遠州公の指導...

信楽焼

信楽焼は六古窯の一つとして知られ、古琵琶湖層の土が生む素朴な風合いと火色が魅力です。茶人に早くから愛...

備前焼

六古窯の一つ・備前焼は、釉薬を使わず土と火が生む景色を楽しむ焼締め陶。侘茶の隆盛とともに茶人に愛され...

朝日焼

宇治の豊かな自然と宇治茶の文化に育まれた朝日焼。秀吉に愛され、遠州公の指導を受けて「朝日」の二字を賜...

高取焼

高取焼の成り立ちや各窯場の変遷、朝鮮陶工八山の技、そして小堀遠州の指導で完成した「遠州高取」の特色を...

薩摩焼

薩摩焼は文禄・慶長の役で渡来した陶工を起源とし、苗代川・竪野・龍門司など多様な窯で発展した鹿児島の伝...

志戸呂焼

志戸呂焼は鉄分の多い土と「あめ釉」に特色があり、献上茶の茶壺として重宝された名窯。寛永期には小堀遠州...

上野焼

細川三斉に従った朝鮮陶工・金尊楷が築いた上野焼。侘茶を重んじた細川家の美意識を受け継ぎ、素朴で重厚な...

漆工の指導

職人を引き立て育てる

満田道志は、江戸初期に活躍した名塗師(ぬし)であり、小堀遠州の知遇を得てその美意識を具現化した工芸家として知られています。また塗師の近藤道恵(どうえ)も、ともに遠州の指導と庇護を受けました。満田道志は、若い頃から茶の湯に親しみ、京都に住んで活動していました。『松屋会記』によると、元和9年(1623年)に奈良の松屋久重が近藤道恵の茶の湯に参会した際、まだ「二郎兵衛」と称していた若き日の満田道志が、久重の相手を務めたことが記録されています。遠州の茶会にも三十数回にわたって客として名を連ね、ときには大名衆の詰客を務めることもありました。これらのことから、満田道志の茶の湯に対する理解と心得が非常に深かったことがうかがえます。近藤道恵の発案による独特の漆塗技法「いじいじ塗(いぢいぢぬり)」を、満田道志はさらに洗練させて完成させました。遠州の指導のもとで多くの優れた作品を制作し、その技術力と感性の高さから「いぢいぢ道志」と呼ばれるようになりました。満田道志が手がけた漆器は、その柔らかな光沢と上品な風合いで知られています。彼が完成させた「いじいじ塗」は、後世においても高く評価され、現代の漆芸技術がいかに進歩したとしても、なお完全に模倣することが難しい名工の技とされています。

宝珠 香合

宝珠 香合

この香合は、遠州が寛永15年(1638年)、60歳(還暦)の折に、お出入りの塗師・満田道志に作らせた遠州好みの作品です。道志の共箱となっており、造形と色彩の調和の中に、遠州の「綺麗さび」の美意識がうかがえます。寛永15年は、品川の東海寺に茶亭が完成し、遠州が将軍・徳川家光に茶を献じるなど、公私ともに多忙を極めた年でもありました。

朱 糸目瓢箪 茶器

朱 糸目瓢箪 茶器

糸目は遠州好みの意匠ですが、この瓢箪形の茶器はやや太めのものが本歌とされています。糸目の細かいものは、後の時代の作と考えられます。 また、径上部の黒漆の点の部分に茶杓をのせるのが定めとされており、本歌はやや直径の大きい糸目をつけた瓢箪形のもので、その姿と朱漆の色彩の美しさから、いかにも遠州らしい趣を感じさせる好みの茶器です。内側を真塗(しんぬり)とした仕上げも見事な調和を見せており、遠州の洗練された感性がうかがえます。箱には、小堀家八代・宗中による書付が添ってあります。

遠州好みの茶道具

堅手 十文字高台 茶碗

堅手 十文字高台 茶碗

この茶碗は李朝前期に朝鮮で作られたもので、井戸茶碗や熊川(こもがい)茶碗とは異なり、磁器質で土や釉薬ともに堅い印象を受けることから「堅手(かたて)」と呼ばれています。形は井戸茶碗に見られるような開き加減のものが多いのが特徴です。本品は熊川形のようにやや端反りで、たいへん端正な姿をしており、釉調も穏やかであたたかみを感じさせる茶碗です。高台は十文字にきっちりと削られており、堅手茶碗の中でもとりわけ珍しい作風を示しています。この茶碗は小堀家に伝来しましたが、宗中(そうちゅう)の最晩年に箱が新調されました。内箱の蓋裏には宗中の晩年の筆跡で、 「大原や 小塩の山の 横がすみ 立つは炭やく 煙なるらん」 という自詠の和歌が添えられています。

遠州作 茶杓 銘・虫喰

遠州作 茶杓 銘・虫喰

この茶杓は、筒に遠州自筆で「虫喰(むしくい)」と書き付けられており、遠州作茶杓の代表作の一つとされています。節の部分に小さな虫喰い跡のような穴があり、これが名称の由来となったものと思われます。遠州作の茶杓で共箱が残るものはきわめて少なく、本作はその中でも貴重な一点です。内箱の蓋表には「むしくい 小遠江守作」と記されており、『遠州蔵帳』にも所載されています。

七宝地文肩衝釜 五郎左衛門浄清作

七宝地文肩衝釜 五郎左衛門浄清作

 高く立ち上がった甑口に七宝繋文をめぐらし、胴部にも大きな七宝文を散らしています。七宝文は、正式には「花輪違い」と呼ばれる小堀家の定紋であり、本作は遠州好みの切形に基づいて制作されたものです。姿はゆったりとした曲線をもつなで肩で、鐶付(かんつき)はわらび形とされています。全体に気品があり、いかにも遠州らしい上品さと風格を備えた釜です。作者の大西浄清(おおにし じょうせい)は、江戸初期から京都三条釜座で釜作りを続けた大西家の二代目で、五郎左衛門と称し、遠州の釜師の一人として知られています。箱書には「小堀遠州御切形御紋附釜 鐶付わらび 釜師五良左衛門 孤篷庵」と記されています。

遠州流茶道連盟
遠州流茶道連盟