国際性

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海を越えた数寄大名

海外へ茶道具を発注

江戸時代は鎖国下にあったとはいえ、長崎には海外から多くの品々が流入していました。小堀遠州と親交のあった長崎奉行は、珍しい品物が手に入ると、まず小堀遠州のもとに持参し、その場で「これは面白い」と興味を示された品については、たとえ本来茶道具でなくとも、「見立て」によって茶の湯の道具として活用されました。やがて小堀遠州は、既存の舶来品を転用するだけでなく、はじめから茶道具として使用することを前提とした品を海外に注文するようになりました。その代表例の一つが、オランダのデルフト焼です。このように、特定の形式にとらわれることなく、多様な要素を取り合わせ、互いの美を引き立てながら調和を重んじるスタイルこそ、茶の湯を総合芸術へと高めた遠州流の大きな特徴です。実際に遠州は、オランダやアジア各地に、自らの意匠を凝らした茶碗などを発注していた記録も残されています。

遠州によって海外に注文された茶道具

祥瑞 洲浜茶碗

祥瑞 洲浜茶碗

祥瑞は染付の一種ですが、中国明末の景徳鎮窯において、日本の茶人の注文によって、日本の茶道具として製作されたものといわれています。その形姿や釉薬の色調は古染付類とは異なり、より上作な仕上がりを見せています。しかし、近年の研究によって、これらは遠州の好みに基づいて注文されたものが原型となっている、という説が定説となっています。祥瑞は徳川初期の茶人たちに特に愛好されました。この洲浜形茶碗は遠州の注文によるものとみてよく、文様には多少の違いがあるものの、同手の作品が数点現存しています。茶碗挽家の甲文字は、小堀家五代・和泉守正峯の筆跡です。

御本夢の字茶碗

御本「夢の字」茶碗

御本ごほんとは、御手本をもって作られたという意味です。三代将軍徳川家光公が描いた立鶴の茶碗を、小堀遠州が切形をもって朝鮮に注文したと伝えられる「御本立鶴茶碗」とよばれるものが図柄と器形がほぼ同じもので十碗ほど伝わっています。又、小堀家に伝わる「夢の字」茶碗は、小堀遠州が釜山窯に「切形」を送って注文を出し、送られてきた素焼きに遠州自ら「夢」の字を書いて送り返してと、二回の往復を経て生まれた茶碗です。この茶碗の箱蓋表には小堀遠州の筆で「新高麗」と書いてあります。

和蘭陀 半筒茶碗

和蘭陀 半筒茶碗

遠州の時代には、すでにオランダから陶器が舶来品として我が国に入ってきていたことが明らかになっています。また、近年の研究によって、日本からの注文によっていわゆる茶陶が製作されていたことも解明されています。その多くは、狂言袴文の筒形向付に代表されるものです。しかし、茶碗になると多くは向付のはなれを見立てたものであり、本来の茶碗として製作されたものはきわめて稀です。本作はその意味でも大変貴重なもので、青釉のかかった胴の中心に七宝文をあしらった輪違い文様がめぐらされています。一部の釉薬がなだれ状に流れ、この茶碗ならではの趣を生み出しています。全体の姿は、遠州の好んだ高取や薩摩の半筒茶碗と同じ気分を感じさせます。内箱の書付は遠州自筆で、「をらむだ 筒茶碗」と記されています。おそらく遠州が前田利常、あるいは堀田加賀守を通じて注文したものと考えられます。

江戸時代に
ワインでおもてなし

ふたうしゅちんた…??

一般に茶道といえば、「お菓子をいただいてお茶を点てる」という大勢が参加する茶会の情景を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし、正式な茶道の形式は「茶事(ちゃじ)」と呼ばれ、通常は4〜5名の客を迎え、炭点前、会席料理、濃茶、薄茶の順に、もてなしが展開されます。茶事は単にお菓子とお茶をいただくだけにとどまらず、日常から切り離された特別な空間の中で、庭の景色を愛で、静かに茶室へと入り、食事や酒を通じて器の趣を味わいながら、亭主が設けた主題に沿って選ばれた茶道具によって構成される、一つの物語が進行していきます。そして最後に一服の茶をいただくという、まさに一つのドラマが繰り広げられるのです。この茶事の中でも、特に会席では料理とともに酒が振る舞われます。通常は日本酒が供されますが、小堀遠州はこれに代えて「葡萄酒(ワイン)」を出したという記録が残されています。遠州が生きていた17世紀前半の「会記(かいき)」には、茶道具や料理に関する記録の中に「ふたうしゅちんた」という表記が見られます。これは「染めたワイン」という意味で、スペイン産のものであり、特にアリカンテおよびロタ産のワインを指すとされています。このワインは、単なる飲料としてだけでなく、他の赤ワインをより濃く染めるための薬用としても用いられていました。当時、葡萄酒はきわめて貴重な酒類であり、出島のオランダ商館を通じてオランダ東インド会社によってもたらされた限られた量が、接待用や贈答用、あるいは飲用として国内に流通していました。その一部が、長崎奉行との深い交流を有していた小堀遠州の手元にも届けられたと考えられます。実際の記録として、正保3年(1646年)8月2日の会記には「御茶の前二 葡萄酒 染付徳利 へぎに猪口三ツ置テ出ル」と記されています。これは、同年8月2日の夕刻、小堀遠州が後藤顕乗および松屋久重の両名を招いて催した茶事において、抹茶を供する前に、染付の徳利に葡萄酒を入れ、三つのお猪口を添えて供したことを意味しています。また、黒田藩主・黒田忠之に小堀遠州が葡萄酒を贈った際の添え状も残されており、遠州が海外の文化や美意識をも取り入れ、茶の湯の中で洗練されたかたちに昇華していたことを示しています。

江戸時代にワインでおもてなし
遠州流茶道連盟
遠州流茶道連盟