江戸時代における
建築界の巨匠
遠州好みの建築・作庭
慶長2年(1597)小堀遠州19歳の時に、築城技術に長けた藤堂高虎の養女を正室に迎え、小堀遠州も後に作事奉行として大いに活躍しました。遠州好みは「綺麗さび」とも称され、茶道具にとどまらず建築や作庭においても洗練された美を体現し、当時の美意識の規範となりました。茶室や庭園において、自然と人工、直線と曲線といった対立する要素を対比させるなど、伝統的な要素に新しい視点を取り入れました。その影響は広く、日本各地に遠州好みとされる建築物や庭園が残されています。遠州が直接関わったものはもとより、明確な史料はないものの関与が推測されるもの、直接の関与はないものの作風の類似から「遠州好み」と呼ばれるものなど、多様な作例が存在し、建築の世界においてもその影響力の大きさを物語っています。