発明・革新

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留まることのない探求心

洞水門の発明

水琴窟の原点

慶長元年(1596年)、小堀遠州18歳のとき、京都伏見の自邸の露路に「洞水門(どうすいもん)」を考案し、師である古田織部を招いたところ、織部は「此年迄かようの水門を見ず。遠州は名人に成るべき人也」と大いに感嘆したと伝えられています。千利休や古田織部の時代までは、手水鉢(ちょうずばち)の水はけは土に吸い込ませるだけであり、衛生面や美観の点で不都合も多くありました。そこで遠州は改良を重ね、洞水門を考案したのです。この発想は画期的なものであり、当時から高く評価されました。 洞水門は、大がめを伏せ、その底の中央に小さな孔を開けて竹筒を差し込み、土中に埋め、その周囲を漆喰で固める仕組みです。竹筒から落ちる水が大がめに溜まり、反響して澄んだ音を奏でる構造で、今日でもこの原理は造園技法に生かされています。のちに日本を代表する建築・造園の作事奉行としてその才能を発揮する遠州の創意は、若き日からすでに際立っていました。遠州が創案した洞水門は、現在「水琴窟」と呼ばれるものの原型といわれており、その作り方は小堀家において代々秘伝として受け継がれてきました。生来の研究心と好奇心から生まれた多くの工夫——サイフォンの原理を応用した手水鉢や、水琴窟の原点とされる洞水門など——に見られるように、遠州の博識と近代的な技法は驚くべきものであり、まさに「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称するにふさわしい人物です。

水琴窟
水琴窟  遠州茶道宗家 成趣庵
洞水門
洞水門設計図

宇治茶製法の革新

白茶の復興と抹茶に銘

小堀遠州は、宇治茶園の茶の栽培や製法にも力を注ぎ、その保護と育成に尽力しました。古田織部の時代には、碾き茶(ひき茶・抹茶)は色目のよい青茶(茶の葉をゆでて乾燥させてつくるもの)が良いとされていました。しかし遠州は、色目がよくても香りや風味が落ちるとして、利休の時代のように茶葉を蒸して乾燥させる「白茶(しらちゃ)」がよいと考え、現在の抹茶製法の基礎となる指導を行いました。また、利休や織部のころまでは抹茶に銘をつける習慣はありませんでしたが、遠州は初めて抹茶に「初昔(はつむかし)」や「後昔(のちむかし)」といった銘を与えています。抹茶の銘に「〜の昔」や「〜の白」といった言葉がよく用いられるようになったのは、遠州が「利休の昔にかえしたい」という思いと、「白茶こそがよい」という理念を込めたことに由来しています。このように遠州は、茶の湯のみならず、茶そのものの品質向上にも深く関わり、その精神と美意識は現代の抹茶文化にも息づいています。

茶臼 炉開き
抹茶に銘

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小堀遠州の美と功績

遠州流茶道連盟
遠州流茶道連盟