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茶訓ちゃくん

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茶道の心得

先達は様々な形で「茶道の心得」を私たちに残してくれています。このページでは小堀遠州の教えを中心に現在に伝わる茶訓を紹介していきます。

小堀遠州公 書捨の文

小堀遠州遺訓書捨ての文
甫公書捨之文 平成二十四年 
不傳庵 小堀宗実家元謹書

夫れ茶の湯の道とても外にはなく 君父に忠孝を尽し 家々の業を懈怠せず 殊には朋友の交を失う事なかれ
春は霞、夏は青葉がくれの郭公 秋はいとゞ淋しさまさる夕の空、冬は雪の曉 いづれも茶の湯の風情ぞかし
道具とても、さして珍器によるべからず、名物とても異りたる事もなく
古き道具とてもその昔は新し 唯先達より伝りたる道具こそ名物ぞかし
旧きとても形いやしきは用いず 新しきとても形よろしきは捨つべからず
数多きをうらやまず、少きをいとはず 一品の道具なりとも幾度も もてはやしてこそ、子孫に伝ふる道もあるべし
一飯をすゝむるにも志を厚く 多味なりとも志うすき時は早瀬の鮎、水底の鯉とても味もあるべからず
籬の露、山路の蔦かずら、明暮れてこぬ人を 松の葉風の釜のにえる音たゆる事なかれ

現代語訳

 茶の湯の道というものは、決して特別なものではなく、まずは君や親に忠孝を尽くし、家ごとの務めを怠らず、ことに友人との交わりを疎かにせぬことが肝要であり  春には霞たなびく風景に鶯や郭公の声を聴き、夏は青葉に隠れる涼を味わい、秋はひときわ淋しさの募る夕暮れの空を眺め、冬は雪の明け方の凛とした気配を尊ぶように、四季折々の自然の趣を感じ取ることこそ茶の湯の本意であり  道具についても奇をてらった珍しい品に頼るのではなく、名物と呼ばれるものも決して特別視することなく  古い道具であってもかつては皆新しかったのであり、ただ、先人から伝わってきた品にこそ真の名物としての価値が宿ることを思い  古くても形が卑しければ用いず、新しくとも形がよければ棄てるべきではなく  多くの道具を持つことを羨まず、少ないことを嘆かず  たとえ一つの道具であっても幾度も大切に用いることでこそ子孫に伝えゆく道が生まれるものであり  一椀の食事をすすめるにも心を尽くし、たとえ味が多彩であっても、心のこもらぬもてなしでは、早瀬の鮎や深みに潜む鯉でさえ味わい深くはならず  籬(まがき)に宿る露や山路の蔦かずらの趣を思い、明け暮れ通う人のないさびしさを包み込むように、松の葉を吹き抜ける風のような釜の煮え音の絶えることなきよう、日々の茶の湯に心を澄ませて向き合うべきである。

小堀遠州公茶訓

茶を点するに勤謹和緩と云う習ひ有り。大概をいはば、勤は「つとむる」と読て総て茶を点つる人により 時節により所により 事に物々によりて其品替り有り 殊に 茶は 礼の物なる故に点様置合等万事礼を以てす。 
故に茶人茶道習練する事なり 是をしらづんばあるべからず。  されば 功者智仁習つとめて 其旨を知れりとなり。猶、是等の儀は種々伝ある事にて 頓に開悟し難き故能勉めてしれと云ふことなり。 悔怠なる心あれば理を極むること能はず。
謹は「つつしむ」と云て先づ身の曲尺を定むべし。是の体にて向て用に背かず 用に向って体に背かずと云ふ習あり。
さて 客を敬ひおもむる心 又は 諸の器の扱ひ等を謹めとなり。
総て茶を点る時は本性専ら謹むべし。是 其深意有る事なり。 又 君の器 親の器の外 貴人高位の器にて点る時は 猶以て 謹み慎むべし。 貴の器なる故愚あるは本意を背く理あるなり。
和とは『やはらか』と読みて 茶を点つる手法の次第平和にして 其姿幽玄なるを佳なりとす。 然れども余り正体なきは悪しきなり。 利休なんどは正しき内に和らかなるを善とすといへり。和光同塵とも中和とも云へり 是亦勤する 人は至り難し。
緩とは「ゆるやか」なりと読て思慮する心なり。此道に限らず万事業此心得 なくては不叶事なり。故に一会の時に限らず 兼て心を天地に廻らし性を草木 禽獣にふれ 物の虚実を念ひ尤も数寄に至ては 其始終陰陽花実をゆるやかに 思ひめぐらし 其程宜しくするを寛かとは云なり。総て仁なる者高きも賎きも 此心なきを愚の人といぶなり。歌人茶人は最もゆるやかに万事たしなむべきは 肝要なり。

現代語訳

 茶を点てるには「勤・謹・和・緩」という四つの心得が大切であり、茶は礼の道であるがゆえに、点前の様子や道具の取り合わせに至るまですべて礼をもって行い、時節や場所、道具の違いに応じて適切に品を替えることを基本として、まずは師に学び、たゆまず修練を積み、自らその理を会得しようと努める「勤(つとめ)」を第一とし、つねに身の構えを正し、客を敬う心や器物の扱いに細心の注意を払う「謹(つつしみ)」をもってその動作を律し、所作の一つひとつを和やかで穏やかにし、幽玄な姿を目指す「和(やわらかさ)」を重んじつつも、ただ柔らかいだけで芯を欠くことのないよう正しさを内に保ち、さらに常日頃から天地自然に心を巡らせ、草木や鳥獣と触れ合い、万象の虚実・陰陽・花と実を深く思惟し、広く緩やかな心をもって物事をとらえる「緩(ゆるやかさ)」の姿勢を忘れず、これら四つの徳を身に備えてこそ、茶人としての本意に適い、歌人や数寄者にとっても最も大切なたしなみとなる。

小堀遠州公茶事花の時に
申されしこと

花の姿をという事 姿に文質あり
     論語に
   質勝文則野 文勝質則史
   文質彬彬 然後君子
   右宜受師伝而自得心
 また、風雅集の序に
 姿たかからむとすれば、その心足らず。言葉こまやかなれば、そのさまいや し。えむなるはたよれすぎ、つよきはなつかしからず。
 すべてこれをいふにそのことはり、しけき言の葉にては、のべつくしがたし むねをえてみずからさとりなむ。

現代語訳

花の姿の美しさを語るには、「文(技巧や装飾)」と「質(内実や精神)」のバランスが大切であることを、『論語』や『風雅集』の教えをもとに説いています。外見ばかりを整えても中身がない、逆に内容ばかりで表現が拙ければ伝わらない。理想的なのは、その両者が「彬彬(ひんぴん)」と調和すること。そしてそれは師から学ぶだけでなく、自分自身の体験と感性によってこそ体得される、という美意識と学びの姿勢が表明されています。

遠州流茶道連盟
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