4月23日 春眠暁を覚えず
ご機嫌よろしゅうございます。
今日はこの漢詩をご紹介します。
春眠不覺曉 (春眠暁を覚えず)
處處聞啼鳥 (処処啼鳥を聞く)
夜来風雨聲 (夜来風雨の声)
花落知多少 (花落つること知んぬ多少ぞ)
孟浩然の春暁の詩です。
一般的には、次のような意味に解釈されています。
春の眠りは心地よく、うっかり寝過ごし、
夜明けに気付かない。
目覚めてみると、ところどころで
鳥がさえずっていて天気が良さそうだ。
そういえば、昨夜は風雨の吹き荒れる音がした。
せっかくの花がどれほど落ちたことか。
近年では
春は日の出が早いので、同じ時刻に起きても
すでに空は明るい。
という意味で解釈する説もあるようです。
ただ、春のうららかなあたたかさとのどかさを表すのは
やはりこれまでの解釈の方があっているのではかなと思います。
4月22日 桜鯛(さくらだい)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は、この時期旬を迎える「桜鯛」について
お話しします。
桜鯛は、春に旬を迎えるマダイのことを指します。
マダイは桜の花が咲き始める3~6月頃
産卵の為に浅瀬に来るので、この時期のマダイのことを
桜鯛と呼びます。
産卵期の鯛は赤みが増し、身が肥えて脂がのり、
一番美味しくなります。
他の季節のものと区別され珍重されています。
この時期、大阪の船場では親戚や親しい家の間で
とびきりの桜鯛を贈答する風習が、
江戸時代から大正頃まで続いていたそうです。
会席でも旬の食材を取り入れた献立が考えられ
その季節にあった旬の食材でお客様をもてなします。
これまでもいくつか「旬」の食材という
お話をしてきましたが
旬の時期においしくなるのは何故だかご存知でしょうか?
それは1年のサイクルの中で、
その生物が次の世代を産むために体に栄養を蓄える時期
と重なることが多いからなのだそうです。
4月21日 初花(はつはな)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は漢作唐物「初花」茶入についてご紹介します。
楢柴・新田肩衝と並んで、天下三肩衝の1つ。
もとは楊貴妃の油壷であったとも伝えられます。
初花とはその季節に一番に咲く花を指します。
この銘は足利義政が、
その形姿を天下に先駆ける初花にたとえて
くれないの はつ花ぞめの色ふかく
思ひしこころ われわすれめや
に因んで付けた銘であろうと『日本陶瓷史』
にありますが定かではありません。
織田信長が名物狩りで商人の大文字屋から取り上げたもので、
信長・秀吉・家康という三人の天下人の
所有するところとなり
柳営御物として三百年もの間を
幕府の権威を誇示することとなります。
現在は国の重要文化財に指定され、
東京の徳川記念財団に保管されています。
この初花と並んで好まれる「遅桜」茶入を
来週月曜日にご紹介します。
4月 20日 穀雨(こくう)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は二十四節気の穀雨です。
春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、
雨で潤った田畑は種まきの好期を迎えます。
もとは、秋に種蒔きした麦類の生長を助ける雨のこと
を指し、麦は穂が出て実をつけるようになります。
のちに稲にも適用されるようになりました。
「清明になると雪が降らなくなり、
穀雨になると霜が降りることもなくなる」
といわれますが
変化の多い春の天気もこの頃からようやく安定し、
日差しも強まってきます。
昔から、この日に合わせて田畑の準備をするそうです。
また穀雨が終わる頃に八十八夜を迎えます。
いよいよ春から初夏へ向かう季節になりました。
この穀雨の恵みを受けて
山野は5月の美しい新緑の準備をしているのですね。
4月17日 徳川家康
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は4月17日
徳川家康の命日です。
家康の茶の湯に関する逸話はあまり見当たりませんが、
文禄元年頃の名護屋の陣営で、神谷宗湛を招き茶を振舞ったり、
慶長十六年(1611)には織田有楽斎を招いて楢柴肩衝で茶会を催したなど
当時の日記や文章をみてみると少しはあるようです。
しかし、通常家康が使用していた道具などは比較的素朴なものが多く
信長、秀吉に比べ、茶の湯に熱心であった様子は見受けられません。
江戸時代
家康によってようやく平和の世が訪れ、
それを維持する秩序が必要となりました。
茶の湯は武家の故実・礼法として修むべき教養となります。
この時代、遠州公は大名や、貴族など様々な肩書きを持った
人々が共に茶を喫するための
調和の美の茶の湯を創り出しました。
寛永十三年、将軍家光は、日光東照宮の大増築を行い、
4月17日の家康の命日に参詣しています。
これに随行した遠州公は
日の光 東を照らす 神風は
今日より君の 万代の声
と「日光東照神君」の文字を詠み込んだ和歌を作っています。
遠州公五十八歳の年です。
4月 10日 柳緑花紅(やなぎはみどりはなはくれない)
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は春によく掛けられる禅語をご紹介します。
柳緑花紅
11世紀の中国の詩人・蘇軾(そしょく)の詩からの引用です。
柳は緑色、花は紅色。
そのありのままの姿が真実だということ。
柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、
全てのものを客観的に捉え、あるがままを受け入れよう
ということを説いている言葉です。
時に、禅宗は自己を追究し「無」の境地を目指すことが
目的であるのに、季節の移ろいに目を向ける禅語に
違和感を覚えることもあるようです。
しかし、この柳緑花紅の語のごとく
季節を捉えた禅語は
季節の移ろいに応える自然の姿、ありのままの姿
それこそが真実と教えています。
ですから、
やはり柳が青々として、花が紅に染まる頃
この言葉を目にして、その真理を追求するのが
自然な姿。
季節外れに掛けるのは
それこそ「不自然」なのではないでしょうか。
4月8日 はなまつり
ご機嫌よろしゅうございます。
今日4月8日はお釈迦様が誕生した日です。
この日は灌仏会(かんぶつえ)、はなまつりなどと言われます。
お寺などで、花で飾った花御堂(はなみどう)
という小さなお堂が作られます。
ここに甘茶で満たされた盤を置き、その中に
御釈迦様が誕生したときの姿を表した
誕生仏という仏像が安置されます。
お参りするときには、柄杓で
誕生仏の頭へ甘茶をかけてお祝いします。
お釈迦様が誕生したとき、天から甘い露が降り注いで身体を清めました。
するとお釈迦様はすぐに立ち上がり、
7歩進んで右手で天を指し左手で大地を指し、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」
とおっしゃったのだそうです。
「この世に自分より尊いものはない。
人間ひとりひとりが一つしかない命をいただいている尊い存在である。」
いうことを意味しているのだそうです。
さて、この8日にはお家元が宗家の稽古場で
様々な種類の椿を集めて鉄鉢に盛り、
お釈迦様に供えます。
4月ともなると椿もいよいよ見頃を終える頃ですが
生けられた椿達は、それぞれが美しく咲きほこり、
その華やかな姿で私たちの目を楽しませてくれます
4月7日 桜
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は「桜」について
お話します。
満開の桜を眺めると心躍る気持ちがします。
皆さんがお花見に行かれてご覧になる
桜のほとんどは「染井吉野」という
種類のようです。
この桜
桜好きの日本人のために手っ取り早く満開の桜を咲かせたい
ということで、江戸時代末期に
染井村(現在の東京駒込あたり)の植木職人が
何種かの桜を掛け合わせてつくったのだとか。
それまで全国的に有名だった奈良原産の吉野桜を
意識して名付けられたそうです。
葉が育たないうちに開花し散りやすいのですが
その散り際の見事さが日本人に受け
また栽培しやすいことからたちまち全国に広がり
従来の吉野桜を押しのけ
桜といえば染井吉野という程普及しました。
4月6日 天正19年の出来事
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は日曜日。
大河ドラマ官兵衛の時代の
遠州公のお話しを。
天正十九年(1581)
この年は、茶の湯にとっても
遠州公にとってもお大きな意味をもつ年でした。
1月22日に 秀吉の弟・秀長が亡くなります。
そして2月28日 千利休が切腹。
8月には士農工商が定められ、
身分制度が出来上がるのと同時に
下克上の時代に終わりを告げることとなります。
主君秀長が亡くなった翌年は遠州公の母
(磯野丹波守員正娘)が亡くなり
遠州公にとっても
苦難のときであったと思われます。
年号変わって、文禄二年
15歳の遠州公は
その悲しみを乗り越えて、
大徳寺の春屋宗園禅師に参禅します。
茶道を古田織部に習うのもこの時期です。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は遠州蔵帳所載の茶入について。
桜にちなんだ銘を持つ遠州公ゆかりの茶入は
たくさんあります。
そのうちの一つが
「山桜芋子」です。
正面にかかる釉薬の具合が
山に咲く桜の姿を連想させることから
遠州公がこの名を付けたとされています。
芋子とは文字通り、その形が里芋の子のような形
をしていることからの名称です。
茶入の入った箱には遠州公の自筆で
「芋子」と書き付けがあります。