潮音堂

2013-10-2 UP

皆様、ご機嫌よろしゅうございます。

本日は『潮音堂』の掛物についてお話致します。

寛永8年(1631)10月2日の茶会記に、「掛物 無準」とあります。
「無準」とは「ぶじゅん」と読み、中国の高僧無準師範のことで、遠州の茶会記の場合、『潮音堂』の墨跡のことを指します。
『潮音堂』は、博多の承天寺が創建した際に、無準師範ものとに留学した聖二国師が頂戴したお祝いの寺額です。
後に、京都・東福寺普門院修理のための費用として処分した際に、遠州の手に入ったと言われています。

潮音堂にはこんなエピソードがあります。
出羽国庄内藩主であった酒井忠勝が、ある時遠州の茶会に招かれました。
その時に、忠勝公は潮音堂の額を遠州に懇望するのです。
それに対して遠州は「一字千両」と答えました。
すると忠勝公はすぐに三千両を用意し、持ち帰ったそうです。

ちなみにこの時に、有名な『生野茶入』もしようされておりますが、この話はまたいずれ。