遠州公縁の茶陶「高取焼」

2018-6-8 UP

高取焼の特徴

ご機嫌よろしゅうございます。
高取焼はその時代の流れの中で作風を変化させていきました。
永満寺窯時代には厚手で荒々しさのみえる様子。
土も粘り気の乏しい土。朝鮮の技法を用いて御用の陶器を焼き始めた
八山の試行錯誤の時期と思われます。
内ケ磯時代の前半は唐津焼や美濃の影響を受けた歪みの
強いものが多く焼かれています。これまで唐津焼として
伝わっていたものの中にこの時期の高取焼であったことが
確認された作品もあります。これまでは白旗山以降と思われていた、
遠州公の影響のうかがえる優美な茶入や水指も
内ケ磯末期には作られるようになります。
主君に帰国を願い出て怒りを買い、蟄居させられた山田窯では
日常雑器などを主に焼き、作為のない素朴な作風に戻ります。
(尚、この山田窯の時代にも内ケ磯窯は五十嵐次左衛門によって
続いていたと考えられています。)
主君忠之の許しを得て、新たな御用窯を築いた白旗山窯。
この頃、茶人小堀遠州の指導による「遠州髙取」
様式がほぼ完成します。
次週は高取焼と遠州公についてのお話をご紹介いたします。