遠州公ゆかりの茶陶「丹波焼」②

2019-3-27 UP

丹波焼と遠州公
ご機嫌よろしゅうございます。
丹波焼がしばしば茶会記に記されるようのなるのは寛永年間にはいってからで
「宗甫居士道具置合拵」には
寛永七年五月二十三日「一茶碗 丹波焼 一水指 丹波焼」とあり
翌八年九月四日に「一水滴(水滴型茶入) 丹波焼」とあります。 さらに
同月二十二日に「一 茶入 生埜」とあります。
この時期に丹波のどこかの窯屋と遠州との間に特別な関係があったことを物語っています。
とくに「生埜」茶入れは、丹波焼茶入第一の名作と評価が高く、
優しい丸みを帯びた輪郭とちょこんとついた耳が印象的です。
遠州公との関わりができるようになってからの茶陶丹波焼は、ほとんど黒飴釉や茶褐色の釉のかかった施釉陶で、瀟洒な作行からは他の窯同様「綺麗さび」の美意識を強く感じます。