遠州公の国焼指導

2014-10-19 UP

10月 19日 遠州公の国焼指導

ご機嫌よろしゅうございます。
 日曜日になりました。
 軍師官兵衛に関連して
今日は遠州公の国焼き指導のお話を。

 秀吉が行った朝鮮の役で茶の湯を愛好していたため、、多くの武将が
朝鮮に上陸し帰国の際に、現地の陶工を日本につれ、それぞれ自分の領地で釜を作り、作陶を始めます。
これが御庭焼と称されるものですが、
簡単には茶の湯の心にかなったものが出来ません。
そこでそれらの陶工の指導にあたったのが遠州公です。
 

 遠州公は指導の要請があると、
まず「切形」と呼ばれる型紙を送ります。
 陶工はその型紙通りに焼いたものを持参し
京都伏見まで向かうのでした。黒田家の御用窯となった高取焼は
その代表的なもので、のちに遠州高取と呼ばれています。

そういった遠州公の好みや指導を受けた窯は、
信楽・伊賀・丹波・膳所・志戸呂・上野・薩摩など数多く
後に遠州七窯などと称すようになります。

 遠州七窯についてはまた後日。