十一月になって

2021-11-1 UP

 この夏の猛暑はかなり身に堪えた。通常であれば避暑地を訪ねたり、家族や気の合う友人らとバーベキューやガーデンパーティー等をして夏休みを楽しんでいたはずである。そういう気分転換ができない不自由が、より一層気分を滅入らせた。

 茶の湯には、早朝に催す朝茶事を始めとして、趣向を凝らした納涼の茶会などを行なって、暑気を払う工夫が古来よりたくさんある。しかし緊急事態宣言中ともなると、やはり常の暮らしぶりをするわけにもいかない。クーラーをかけながら、換気のためには窓を大きく開放しなければならない矛盾のなかで、じりじりと迫りくる熱にひたすら我慢する毎日であったと思う。こういった日々を過ごしていると、どんなに穏やかな人でも、イライラして、不機嫌になるようである。その結果、ニュースで見たり聞いたりする事件も、親子、夫婦、隣人や社内での人間関係のトラブルがずいぶんと多くなっている気がする。これは由々しき事態といっていい。矛盾と表現するのは正確ではないが、たとえば今回の東京オリンピック・パラリンピックの開催のことを改めて考えてみても、開催と無観客、大会VIPと私達一般人との期間中の行動のあり方等、まったく正反対のことが不自然でありながらごく当然のごとく行われる。

 そういうことに対する不満が、いま日本中に蔓延してしまった。原因や理由はもちろん一つだけではない。いろいろな因子が何年間も、いくつも絡み合っていまに至っているのは間違いない。このあたりで、それらを一つひとつ丁寧に解いていく時期がきているのではないだろうか。その気概、情熱がないとこの先の日本の国の将来は危ういであろう。

 コロナ禍のなかで、為政者がよく「早くいままでの日常を取り戻す」と言っていたが、それが甘くいかないほど、いまの日本は歪みが発生している。単純に取り戻そうとするのではなく、見つめ直す、改める、刷新するという勇気がないといけない。その意味では、現在が最大のチャンスであり、最後のチャンスでもある。

 話を最初に戻すと、猛暑はいわゆる地球温暖化の影響であり、気候変動である。そしてその要因は、自然的要因と人為的要因の二つに大きく分かれている。自然的要因は私達の力の及ばないものであるが、人為的要因は文字通り人間の行動そのものにかかってくる。むしろこれは一筋縄ではいかない。まして全世界の人類が共通認識をもつことはまずもってない。コロナ禍の対応ぶりをみても、日本と他国ではマスクの扱い一つとっても大いに違っている。こう考えると救いがないようにも感じるが、そうとばかり諦めるわけにもいかない。やはり私達一人ひとりが、身の周りにあること、今までのルーティン、方法、習慣をきっちり確認する地味な作業から新しい工夫を積み上げていくことだと思う。