「令和」の時代

2019-6-1 UP

 「令和」という新しい元号が発表された。大変美しい響きであり、一国民として新しい御代の繁栄とともに、幸せの溢れる時代となることを願うものである。また、今号が発刊される時には、すでに新天皇陛下のご即位の礼も盛大かつ無事におこなわれている時期であり、重ねて皆様とともにお慶び申し上げたい。

 兼ねてから私は新しい元号に和の字が入ることを希望していたので、その意味でも嬉しく思っている。私の願っていた和の意味は、平和という直接的なものでなく、和らぐという意味が現代の目まぐるしい社会にとって大切であるという考えに基づくものであったので、これも喜びをさらに大きくした。

 今年の御題は「光」であったことを皆さまはご記憶のことであろう。光を和らげ塵に同ず、つまり「和光同塵」に使われている意味の和である。老子に「其の光を和し 其の塵に同ず」として出てくるもので、このことを流祖遠州公も大変大切にされていた。溢れるばかりの才能を持っていた遠州公であるからこそ、自分自身の姿勢を常に正しくという願いを込めた言葉であったと私は想像している。

 この和とともに令の文字については、万葉集梅花三十二首の序文であるところの「初春の令月にして 気淑〔よ〕く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後〔はいご〕の香を薫す」が出典であり、我が国にとって初めて国書から元号が考案されたということである。令を引いてきた令月という言葉に注目が集まったのも良い事である。元来、日本語は、同じ文字に様々な意味を持つことが多い。さらに言えば、一つの言葉で相反する意味を持つものも少なくない。したがって日本語の多様性を老若男女があらためて知ったというのも今回意義深いものがある。

 実は私の好みの御茶に、「嘉令乃白」という濃茶がある。これは平成13年つまり2001年新世紀の年に家元継承にあたり好んだお茶の一つである。これは「嘉辰令月歓無極 万歳千楽未央( 嘉〔よ〕き辰〔ひ〕 令〔よ〕き月 歓び極まること無し 万年千年も楽しみは未〔いま〕だ央〔やま〕ず )」という漢詩を和歌朗詠集のなかから選び嘉令の二文字を引いたものである。そのような事もあり令月も私にとっては馴染み深い縁のある言葉であった。

 さてこの発表のあった4月1日に万葉集梅花三十二首をあらためて調べていた所、一首すばらしい歌を見つけた。薬師張子福子の歌で「梅の花咲きて散りなば桜花 継て咲くべくなりにてあらず」梅の花が咲いて散ってしまったなら桜の花が引き継いで咲きますよといった内容である。これを私は、まさに此度の改元にふさわしいと考えた。平成の天皇陛下は、私たち国民を戦争の無い幸せな道を示され、ご退位されるが、新しい御代の令和の新天皇が、その心を継承してまた国民を楽しく導いて下さる。そのように私は受けとり、これこそが日本人の心、和の心を大切にする茶の湯の道にとっても忘れてはならない精神であると考えたのであった。